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柴谷久雄「ラッセルの日本教育観」
『ラッセル協会会報』n.15(ラッセル卿追悼号:1970年5月)pp.7-8.

*筆者は当時、大阪教育大学教授


 ラッセルが日本を訪れたのは、一九二一年(大正一〇年)の夏のことであった。彼がその第一歩を、日本のどこに印したのか、また、その日付はいつか、正確なことはわからない。(松下注:・7月16日朝、営口丸、門司港着。山本実彦の出迎えを受ける。ただし,門司には上陸せず。詳細は、ホームページの松下彰編「ラッセル年譜」参照) それから、神戸・奈良・京都・東京・横浜へと、わずか二週間足らずの短い旅であった(松下注:大阪ホテルにも行っている。)。自叙伝第二巻に、「きわめて興味深くはあったが、およそ楽しいなどとはとうていいえないような、心身ともにへとへとになるような十二日間だった」と、彼はその旅の印象を記している。
 いったい、何がそんなに彼の心身を消耗させたのだろうか。まず、彼自身が訪日前、北京で大病をしている。そして、まだ充分回復しないまま、日本に来たということが指摘できる。それに、季節はモンスーン地帯特有のむし暑さの頃だ。日本で生れたわれわれだって、つくづく、やりきれないと思う時節だ。ラッセルはまず、肉体的にまいったにちがいない。
 さらに、同行していたドーラが、ちょうど妊娠中だった。彼女の健康に対する気づかいもあったであろう。蚊にも相当なやまされたようだ。また、その蚊以上にうるさくつきまとう新聞記者も、彼をしばしば不愉快にしている。しかし、何よりもラッセルの神経を疲らせたものは、刑事の尾行だった。
 当時の日本の官憲にとって、ラッセルはどうも、要注意人物だったらしい。第一次大戦当時における彼の反戦運動が、すでに、日本にも伝わっていたのであろう。それに、大杉栄の愛人伊藤野枝が神戸でラッセルを訪ねたりしている。こんなことも、日本の当局者を刺戟したのだろう。日本滞在中、彼はずっと尾行されている。
 
 こんなわけで、ラッセルの日本の印象は、どうも愉快なものではなかったらしい。奈良や京都で伝統的な日本の美しさにふれて、いくらか心をなぐさめてはいるが、全体としては、あまりよい印象がもてないままに、七月末、横浜港から故国に向かって帰途についている。
 こうした事情が、ラッセルの日本教育観を左右したとは思わない。知性の人ラッセルが、そういうことで、感情的に日本の教育をみたとは考えられない。しかし、とにかく、ラッセルの日本教育観には、相当手きびしいものがある。
 一九二六年にその初版が出た『教育論』(On Education)の第二章で、近代日本は国家の偉大さを教育の最高目的とする点ではすぐれた見本であると述べている。当時、わが国の教育は、事実、その通りであったのだから、文句のいえるわけではないが、私にはやはり、一種の'皮肉'のようなものが感じられてならない。そういえば、ラッセル特有の皮肉な表現は、まだある。右の引用からすこしいったところに、教育を体制護持の下に従属させるという誤謬を犯した点で、近代日本人はジェスイット教徒と同罪であるといった文章もみつかる。そして、神学的暴君制とか倫理的暴君制とかいったような激しいことばまでとび出してくる。前者は天皇制のことであり、後者は忠孝の道徳を意味する。
 軍部ファッシズムが跋扈(ばっこ)して、日本の教育が「日本精神」ではがいじめにされていた昭和時代ならとにかく、大正一〇年頃の日本の教育は、自由主義をむしろ謳歌していたのだ。ラッセルのことばづかいは、少々、度がすぎていはしまいか。そこに、私はラッセルの極度の疲労をかぎつけたくなる。
 同時に、彼のニューズ・ソースも問題だと思う。奈良からあとの旅は、改造社が世話をしたようだ。雑誌『改造』は当時のもっとも革新的な総合雑誌であった。当然、日本の古い伝統に対しては厳しい姿勢をとる。そうした立場にある側からの情報だけで判断すれば、日本人の思想や教育も、神学的暴君制下の奴隷のように映ったかもしれない。伊藤野枝を通して、大杉栄の思想と接触したことも、ここであわせて考えてみる必要があろう。天才ラッセルをもってしても、一方的情報だけをふみ台にしていては、精密な判断は不可能のようだ。せめて彼が、当時、大正自由主義教育をリードしていた活動的な教育実践家達と、いちどでもいいから、座談会でももっていてくれたら、と残念に思う。
 とはいえ、「教育は新しい世界をひらく鍵である」との立場をとるラッセルからすれば、いかに弁護しようとも、当時の日本教育には、その鍵たり得る資格はなかった。これだけはたしかである。そして今、「神学的暴君制」の代りに「経済優先的暴君制」が、「倫理的暴君制」の代りに「イデオロギー的暴君制」が、日本の教育界を横行している。地下に眠るラッセルに、その眼をいま一度ひらいてもらって、この情景を見させたら、はたして彼は何と批判するであろうか。