バートランド・ラッセルのポータルサイト


日本のラッセル研究者・関係者(故人)の発言

大竹勝


 彼の訃に接して、わたしが感慨を深くしているのは彼の三巻の自叙伝の全体に対する跋文である。今にして思えば、この跋文によってラッセルは世界の読者に決別の辞を贈っていたころになる。彼の稠密な文章を要約すること自体が躊躇されるべきことであるが敢えて試みるなれば次の通りである。
「少年時代以来、わたしの人生の真面目な部分は二つのことに専念された。その一つは知ることは可能であるということであり、他の一つは、もっと幸福な世界をつくることに尽力するということであった。・・・。
(詳細は、『ラッセル協会会報』n.15のp.4-5参照)

 ・・・。かくしてラッセルは悲劇的な、しかも勇敢な人間主義を提唱する。我々はここで、『幸福論』の終わりから二番目の章を忘れることはできない。幸福が勝取られるべきものである限り、ひたむきな努力は必要である。しかし、それがすべてではなく、諦観も必要となる。ラッセルは、諦めには二つあり、一つは絶望の諦めであり、他は不ぎょう不屈の希望に起因するという。諦観とは、最後の結果は宿命にゆだねるとしても、最前の努力をなすことであると彼はいう。さらに、諦観とは我々についての真実に直面することであると彼は言う。彼は努力と諦観との中庸を望むというが、東洋的に彼の言うところを表現し直すなら、努力が諦めとなり、諦めが努力となる境地を開拓することであろう。(詳細は、『ラッセル協会会報』n.3のp.8参照)