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(日本のラッセル研究者・関係者の発言)

碧海純一「科学的なものの見方・考え方」と「科学万能主義」との相違
『ラッセル協会会報』n.5(1966年7月刊)巻頭言


 ラッセルには、『科学的なものの考え方』と題する論文集(1931年)があるが、これだけでなく、ほかにも多くの著作を通じて、彼は終始一貫、「科学的なものの考え方」の重要性を力説してきた。・・・。
 ラッセルのいう「科学的なものの考え方」とは、大づかみにいえば、ゆるやかな経験主義と穏健な懐疑主義との結びついたものと考えんがえてよいであろう。「ゆるやかな」といったのは、ラッセルの経験主義が−あらゆる認識の源泉と根拠とを経験に求める極端なエンピリシズム(経験主義)と異なって−論理的・数学的認識の特殊性への配慮を含み、また、認識における直観の大きな意義をも十分に認める立場だからである。そして、「穏健な」という形容詞をつけたのは、彼の懐疑が−あらゆるものを疑って、結局合理的思考への不信と行動の麻痺とにみちびくラディカルなスケプティシズム(懐疑主義)と違って−人間の理性への基本的な信頼を足下に踏まえながら、我々の現実の判断が常に誤謬の危険をはらんでいることへの警戒心を怠らない姿勢だからである。ラッセルの最も嫌うのは確信過剰(cocksureness)であり、彼によれば、「科学は、経験的・試行的・非独断的なものであり、確乎不動の教義はすべて非科学的である。」
 このように解された「科学的なものの考え方」といわゆる「科学万能主義」とは決して同じものではない。・・・。
 科学および科学技術の驚くべき発展は、知識人の間に、科学の役割について、二つの相反するしかし等しく誤った見解を生んだ。一つは、「科学は事物の皮相面をなでまわすだけで、決してその本質に迫りえない」として、形而上学の秘境的な隠語(ジャーゴン)の霧の中に身を隠す反科学者の見解であり、もう一つは、ここで論じた「科学万能主義」である。この双方の危険を早くからするどく洞察した警世家としてのラッセルの功績を憶うことは、二十世紀もすでに後半に入った現代に住む我々にとって決して無意義ではないだろう。