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笠信太郎「(ラッセル協会会報)発刊のことば」
『ラッセル協会会報』n.1(1965年5月)p.1.

*(故)笠信太郎氏(1900〜1967.12.4)は、ラッセル協会初代会長/福岡県生まれ。1925年東京商科大学(現一橋大学)卒、1926年同研究科退学。1928年大原社会問題研究所研究助手、1936年朝日新聞社入社、論説委員、ヨーロッパ特派員等を経て、1949年同論説主幹。


 本年(1965年)の1月21日、平素ラッセル研究に特別の関心をもたれている諸氏が相寄られて、日本バートランド・ラッセル協会が発会することになりました。私たちとしても、まことに喜びに堪えません。いうまでもなく、ラッセルの現代における存在は、すこぶる重い意味をもっています。しかし、ラッセル自身の業績は、たいへん広範にわたっておりますから、私たち各自の興味または専門の外に出る部分についてのラッセルの仕事は、簡単には理解しがたいのであります。そういう領域については、それぞれの専門家の助けを得るのがよい方法にちがいありません。本協会設立の必要は、その辺にも一つあります。同時に、会員自身のための研究もさることながら、ラッセルの考え、または考え方を、できるだけ多くの人に知ってもらい、これによって各自の考えを進める助けとしてもらう必要があります。それまた本協会設立の動機の一つであります。
 従来、世界解釈的な、包括的な考え方というものは、ドイツ哲学風の思想が代表してきました。しかし、例えばヘーゲルに代表されるような考え方の流れは、いまの私たちにとってまだ大いに参考にはなるが、そのままには受入れにくいものとなってきました。眼の前の事実、歴史的経験といったものが、それを楽に受け入れることを許しません。そういった十九世紀的な、イデオロギー的な世界解釈から脱却したいというのが、恐らく二十世紀の強い要求であったろうと思われます。しかし、イデオロギー的でないということ、あるいは歴史哲学的でないということは、私たちに各自がそれぞれ自分の研究と経験の上で、自分の世界を支えることを要求します。それは、考え方としては、多元的であり、科学的思考の限定性の上に立ち、歴史的事実を私たちの経験として取上げ、これを正直に、真っ正面から、恐れることなく直視するといった態度が必要でありましょう。
 いわば、そうした態度をもって、最高峰に登頂した人として、私はラッセルを見たいと思うのです。私たちは、ラッセルに多くを学ばねばならぬことは言うまでもないが、ラッセルと同じ思想を抱くことが、必しもラッセル的であるとはいえますまい。
 以上は私自身の考えですが、こういった根本問題についても、一つお互に話し合いたいものであります。そこで、協会の規定が示しておりますように、研究と普及を中心とする本会としては、仕事はアカデミックなものに終始し、政治的活動には立入りません。そして今のところ、考えておりますのは、
 第一に、年数回の会報を発行し、会員の研究や講演筆記等のほか、ラッセル研究の手引となる記事をもって、会員、会友との連絡をはかります。
 第二には、少なくとも年一回は公開講演会を催したい。とりあえずは、この五月十八日のラッセル九十三回目の誕生日に、その第一回を行う予定です。(右下:ラッセル生誕記念講演会で挨拶する笠信太郎氏)
 第三には、少なくとも年一回、会員の研究会を催し、会友にも出席してもらうことにしたいと思っております。

 誕生早々で、会は甚だ小さいものであります。その財政もまだ基礎を得たとはいえません。しかし小さく生んで、内容的には大きく育てたい、というのが私たちの野望であります。私自身は、諸兄の驥尾に付して、いささか尽力いたしたいと思います。会員ならびに会友におかれては、どうか十分にご理解をいただいて、会の目的のために、その学識と善意とをもってご協力をいただけるものと期待いたします。