バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ n.116
(第116回)読書会メモ「ラッセル『人間の知識』」
[テキスト]『人間の知識』(みすず書房版・バートランド・ラッセル著作集 第9巻/On Power, 1938)
第4部科学的概念
第4部の目的: 科学の諸概念について、可能な最小限語彙(可能な限り少ない
語彙)によって、可能な解釈を与えること。
本章では、「時間」という概念の解釈を扱う。
第5章 公共的時間と私的時間(Time, public and private)
(注:ここでは、私的時間からどのようにして公共的時間が導出されるかはのべられて
いない。それについては、The Analysis of Mind, 1921、その他を参照。また、
私的時間 ≠ 主観的時間)
ニュートンにおける「絶対時間」
「絶対的・真・数学的な」時間と、
「相対的・見かけの・常識的」時間(例:1時間、1日、1年)←「真の」時間の代替
「数学的」時間に到達する過程
多数の周期的運動(例:地球や諸惑星の自転・公転、潮の満ち引き、健康人の安静
時の心臓の脈動)
(これらのなかから、たとえば、地球の自転を「一定」であると仮定し、↓)
→ 物理学の諸法則(特に、重力の法則)を発見(ただしこれらの諸法則は近似的
であるにすぎない。)
↓↑
地球の自転は、潮汐摩擦によって遅れるという事実あり。
↓
地球の自転を「時間をはかる尺度」とすると自己矛盾的となる。
↓
そこで、物理学の諸法則を正確な真理にいっそう近づけるために、別の尺度を
求める。(現在では、実際上は原子時計が使われているようだが・・・。)
↓
なんらかの実際の運動を時間を定義するものとみなさないで、物理学の諸法則
をできるだけ精密にするような「妥協的な尺度」を採用するのが便利であること
がわかる。(ただし、そのような「妥協的な尺度」は物理的実在をあらわすと仮
定すべき理由はない。
ニュートンの「絶対」時間に対する反対論の根拠 → 「絶対」時間は、観測不能
↑
物理学は、観測を越える推論なしにすますことができるとは思わない。
(例:ハイゼンベルクの不確定性原理)
┌──────────────────────────────────────┐
│ ニュートンの「絶対」時間の否定は常識になっているが、その否定によって生じ │
│ る問題に気づいている人はほとんどいない。 │
│ 物理学には、一つの「独立変数t」があり、その各値は連続系列を形成し、「瞬 │
│ 間」と普通いわれているものであると仮定されている。ニュートンは、瞬間を一つ │
│ の物理的実在とみなしたが、現代の物理学者はそう見ない。しかし、彼らは引き続 │
│ き変数tを使っているから、その値に対してなんらかの解釈を見つけなければなら │
│ ず、その解釈はニュートンの「絶対」時間が奉仕したと同じ技術的目的に役立たね │
│ ばならない。この「t」の解釈が、この章で扱う問題である。(最初は、相対性理 │
│ 論を無視し、「古典物理学にでてくる時間」だけに議論を限る。) │
└──────────────────────────────────────┘
「瞬間」(instant)という語を物理的データで解釈する道を探す。即ち、この語が一つ
の定義をもち、物理学の最小限語彙に属さないようにする道を求めることにする。
「瞬間」(または「点」)の定義を求める際に使える材料は、我々が「個物」(parti-
cular)または固有名について採用する理論に依存する。
2つの見解
(1)「個物」は、その(性)質によって定義されない。
(2)一つの「個物」は、共在する諸性質の束である。(cf. The Analysis of Mind, 1921)
前章及び固有名についての以前の議論により、我々を後者の見解へ傾いたが、ここ
(及び第7章)では、前者(1)の見解によって解釈してみる。
↓
従って、さしあたり、材料として「事象」(event)をとり、それらはそれぞれ時空の
一つの有限な連続した部分を占めると仮定する。また、二つの事象は重なり合うことは
できるが、どんな事象も再起しないと仮定する。
明らかに、時間は前後関係に関するものである。また、我々が経験するもので、「単
に瞬間的な存在しかもたないもの」は一つもないことも一般に認められている。
↓
「事象」は我々に知られているかぎり、単なる瞬間的なものでないということを認め
たので、「瞬間」のほうは、どんな事象も瞬間の系列のある連続した長さにわたって存
在するといえるように定義したい。 → 多数の瞬間は、前後関係によって定義された
系列を形成しなければならないというのは、我々の定義が満たさねばならない要件であ
る。
↓(我々はニュートン説を否定したのであるから、瞬間を事象と独立なものと見なし
↓ てはならない。)
従って、一つの瞬間を、適当に選んだいろいろな事象からなる一つの構造にするよう
な定義を探さざるを得ない。あらゆる事象はどれもそういういろいろな構造の一つ要素
であり、それらの構造はいずれもその事象がそのとき存在する瞬間である。すなわち、
どの事象も、その事象を一つの要素とする一つの構造であるところのあらゆる瞬間「に」
(at)存在する。
●時間は、「変化しない世界」でも進行するという仮定
↑
時間についての合理的な理論によれば、この仮定は自己矛盾。
もし時間が事象によって定義されるべきものであるなら、宇宙が一瞬間以上に渡り
不変であることは不可能に違いない。ただし、「不可能」というのはここでは、「論
理的に」不可能ということを意味している。
(「時間」を定義する必要はないというニュートンの見解に同意できないが、)
時間的な陳述には、「ある定義されないことば」が必要であることは明白である。
↓(たとえば、)
「以前と以後」という関係
「完全に先立つ」という関係
t1t2t3t4t5t6t7t8t9 ・・・・ tn(tは時間の独立変数)
事象a ------ │事象aとbが同時に存在
事象b -------- │する時間、・・・
事象c -------- │ 一歩一歩正確な
事象d --------- │ 日時に近づく。
-- │
↑↑ 事象a,b,c,dがすべて存在する時間
この手続きを可能なかぎり続けていく。
→ 我々が選んだ事象群にすでに存在するすべての事象と重なる事象が一
つもない段階まで進むと → それまでに構成された事象群は、一つ
の「瞬間」として定義される。
t
事象a ------ 瞬間を左記のように図示する
事象b -------- と誤解を招くかもしれないが
事象c -------- ・・・・
事象d ---------
--
事象n --
↑ 事象a,b,c,d、・・・nがすべて存在する時間
我々が選んだ事象群にすでに存在するすべての事象
と重なる事象が一つもない段階
(∵「事象」は我々に知られているかぎり、単なる瞬
間的なものでない。)
↓
この段階に到達したとき、それまでに構成された事
象群は、一つの「瞬間」として定義されるだろう。
↓
この主張が正当であることを証明するためには、こ
のようにして定義された「瞬間」は、物理学が要求
する数学的諸性質をもつことをしめせればよい。
私が定義しようとする意味での「瞬間」は、次の二つの性質をもつ事象の集合である。
(1)その集合のなかのすべての事象は重なり合う。
(2)その集合の外のどんな事象も、その集合のあらゆるメンバーと重ならない。この
集合のなかの事象群は、次のように有限時間持続することはない。
一つの事象が有限時間持続するということは、合理的な時間観によれば、それが存在
する間に変化がおこること、即ち、それが始まるとき存在する事象のすべてがそれが終
わるとき存在する事象と一致することはない、ということ以上のものを意味することは
できない。 このことは、その事象とは重なり合うが相互には重なりあわないいくつか
の事象が存在するということと同じである。いいかえれば、
「a は有限時間 "続く"」とは、「bとcはそれぞれaと重なるが、bはcに完全に」
先立つような2つの事象bとcが存在する」
を意味する。(ある事象が起こる/ある事象がある時間持続する/瞬間)
↓
事象a
----------------------
------ -------
事象b 存在する間に変化が起こる 事象c
(bはcに先立つ: b≠c)
我々は、同じ定義を一つの事象群に対してもあてはめることができる。
↓
もし一つの事象群のメンバーがすべて重なりあうのなら、その群全体は有限時間続
かない。しかし、それらのメンバー(である事象群)がすべては重なりあわないなら、
もし次のような事象が少なくとも2つあるのなら、その群全体は有限時間持続すると言
える。
・一つは他の一つに完全に先立つが、いずれもその群の全てのメンバーと重なりあ
うような事象二つ。
一つの瞬間がもう一つの瞬間に先立つということは、第一の瞬間の一つのメンバーが、
第二の瞬間のメンバーに完全に先立つこと、すなわち、第一の瞬間「に」おけるある事象
が第二の瞬間「に」おけるある事象に完全に先立つ場合に成り立つ。
上記の定義によれば、世界が有限時間不変にとどまることは、論理的には不可能である。
もし2つの瞬間が異なるなら、両者は(少なくとも一部は)異なるメンバーから構成さ
れており、このことは、一方の瞬間に存在するある事象は他方の時間に存在しないこと
を意味する。
★我々の理論は、ただ一つの瞬間にしか存在しない事象があるかないかについてはな
にも仮定していない。・・・。一般に、一つの事象の「持続」とは、「その事象を一
つのメンバーとするような瞬間の集合」を意味する。
●アインシュタインの相対性理論
宇宙には一つの時間はない。→ 物質の各断片は、それ自身の局所時間(local time)
を持つ。・・・。与えられた一片の物質の局所的時間は、それと一緒に旅行する完全
に精密な時計によって示される時間である。
・時間のパラドックス(兄は弟より若くなることもある。)
↓
しかし、2つの事象についての時間の前後関係(「より前」「より後」)には何の曖昧
さもない。
以上のような事象の集合としての「瞬間」の構成は、さしあたり、同一の物質片にお
こる事象に対してのみあてはまると考えるべきである。(宇宙時間への拡張はここでは
行わない。)
一定の人体におこる事象/一定の心におこる事象/一定の経験を構成する事象
もしAが私の経験する一つの事象であるなら、Aと重なりあうか、Aに完全に先立つか、
Aより完全に後にくるあらゆるものは「私の」時間を構成し、「私の」時間に属する事
象のみが、「私の」時間に属する「瞬間」の構成に参加する。従って、私の時間を貴方
の時間と連絡することは、まだ考察しなければならない課題として残る。
●「伝記(biography)」を次のような事象の集合と定義できる。
一つの「事象」とは、あるものに先立つか、後にくるか、または重なり合う。
一つの事象が属する「伝記」は、その事象に先立つか、後にくるか、または重なり
合うすべての事象である。
一つの「瞬間」とは、一つの伝記に属し、かつ、次の2つの性質を持つ事象の集合
である。
(a)その集合のなかの任意の2つの事象は重なり合う。
(b)その集合の外のどんな事象もその集合のすべてのメンバーとは重なりあわない。
●時系列の構成
・一つの事象は、もしそれがある一つの瞬間の一つのメンバーなら、その瞬間「に」
(おいて)存在する」と言われる。
・一つの瞬間がもう一つの瞬間「に先立つ」と言われるのは、もし前者の瞬間におけ
る一つの事象が後者の瞬間に先立つならばである。
・「与えられた一つの瞬間(について)の時系列」とは、多数の瞬間の系列であって、
与えられた瞬間がそのなかの一つであり、かつそのなかの任意の二つの一方が他方
に先立つという性質をもつ系列である。
・一つの「時系列」とは、なんらかの瞬間についての一つの時系列である。
★一つの瞬間がただ一つの時系列のみに属しうることも、一つの事象がただ一つの伝
記のみに属しうることも、ここでは仮定されていない。しかし、もし事象aが事象
bに完全に先立つなら、aとbとは同一ではないということは仮定されている。
我々の出発点となる事実は、物理学者はニュートンの絶対時間を否定するが、依然と
して独立変数tを使い続け、tの値は瞬間であると言われているという事実である。・・・。
もし我々がニュートンの絶対時間を仮定せずに変数tを使おうとするなら、我々はt
の値の集合を定義する方法を見つけなければならない。即ち、「瞬間」は我々の最小限
語彙に属してはならず、われわれの最小限語彙は、それが単に論理学のそれにすぎぬも
のでないかぎり、経験によって意味の知られた語からなっていなければならない。
・指示的定義(指定的定義)と構造的定義
存在の疑問が可能であるため指示的定義はしばしば不十分
(指示的定義の例:世界で一番背の高い男/10フィートより背の高い男)
「2の平方根」(=指定的定義) → なにを指すのか証明できない。
↓↑(同値)
「平方が2より小さい有理数の集合(と平方が2より大きい有理数の集合との切断」
(=構造的定義)→ (論理学的意味での)「存在」の問題は解決された。
(まとめ)
我々の変数tという特定の場合は、指示的定義は、我々が絶対時間を否定することに
よって退けられる。従って構造的定義をさがさなければならない。そのためには瞬間は
間は構造をもたねばならず、その構造は既知の要素から構成されねばならない。
われわれは経験のデータとして、「に重なり合う」及び「に先立つ」という関係をも
ち、またこれによって、数学的物理学者が「瞬間」に対して要求する形式的諸性質をも
つ構造を構成しうることを発見した。従ってそういう構造は、なんら特別の仮定を必要
とせずに必要なあらゆる目的を満たす。これが我々の定義を正当化する根拠である。