バートランド・ラッセルのポータルサイト
HOME (Top)

シェアする

バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ 005 - 「ラッセル幸福論」(1980.03.23)

[テキスト]堀秀彦(訳)『ラッセル幸福論』(角川文庫版/原著:The Conquest of Happiness, 1930)

ラッセル『幸福論』第16章 + まとめ

第16章 努力とあきらめ Effort and Resignation

 幸福(になるため)の要素をいくつかあげて検討してきた。最後に、'努力'と'あきらめ'との間のバランスを保つことの大切さ(中庸の徳)を説く。
 ※ラッセルも若い頃は、'中庸の徳'ということをバカにして、英雄的な極端 heroic extremes のほうを賛美した。

A.あきらめ主義(絶望に根ざした-;希望に根ざした-)
 多くの聖者や神秘主義者たちの説くところ。
 ◎どうしても避けることのできないような不幸のために・時間と感情を浪費すべきではない。又、それ自体、避けることのできる不幸でも、それを避けるために必要な時間と労力が、より重要な目的の追求にじゃまになるような場合は、それをあえて甘受するほうがよい。
 ○賢い人は、日常のもろもろの小さなトラブルをいちいち気にとめずに、感情をできるかぎり入れずに冷静にそれらを処理する。

B.努力主義(外面的努力と内面的努力)
 大部分の男女にとって,幸福とは'神の贈り物'であるよりは,むしろ'一つの事業の達成' achievement であるより他ない。
 ○結婚--どちらか一方の性が少ない場合には、数の多い方の性は、結婚したいいと思う異性をつかまえるのに、かなりの努力を要求される。(例:戦中、および終戦直後の日本は、多数の有能な若者が戦死したため、若い女性は'結婚難'におちいった。)


 自分の感情(エネルギ_)を上手にコントロールすることの大切さ。
※ひとつの実際的な仕事における能率は、私たちがその仕事に注ぎこむ感情の(量)いかんに'比例するものではない。必要な態度は、最善をつくしながら、その成果は運命に委ねるということである。
の画像

ラッセル『幸福論』まとめ

  • 過度の内省の習慣や他人と自己とを比べる習慣はよくない。
  • 興味の対象を外に求め、できるだけ多くの事物に(心からの)興味を持てるように(若いうちに努力)した方がよい。
  • 何か非個人的な興味を持つとよい。
  • 「習慣」は大事であり、恐ろしい力を持つ。従って、よい習慣を身につけることは非常に大事である。
  • 自己を過大評価してはいけない。過大な期待を他人にしてはいけない。他人と無益・無駄な競争をしてはいけない。将来、幸福になるために、現在を犠牲に(不幸に)してはいけない。他人や世の中の流行に付和雷同してはいけない。
  • 「個人的な死」によっても終わらない「死せぬ目的」を持つとよい。「目的の連続性」ということは、結局、幸福をつくりあげる最も本質的な部分の一つである。最も大きな満足を与える目的とは、一つの成功から次の成功へと、いつまでも「死せる終点」に達することなく限りなく導いてくれるところの目的のことである。
    ★創造的な人間、創造に生きる人間、 Homo Kreata(ホモ・クレアータ/市川亀久弥氏命名)