バートランド・ラッセルのポータルサイト


[ラッセル格言集]
4.戦争と平和の思想

[戦争と人間性]

[問]戦争をするというのは人間性の一部ではありませんか?

[答]さあ、その際、人間性が何を意味しているのか分かりませんが、しかし、人間の本性は無限に順応性があり、人々が悟っていないのはその点なのです。飼いならした犬と野生の狼を比べれば、躾がどんなに大切かお分かりになると思います。飼いならした犬は、・・・、時々吠えたり、郵便配達人に噛みつくこともありますが、全体からいえば、申し分のないものです。それに対して、狼は全く別です。まあ、人間についてもこれと全く同じことがいえると思います。人間も扱いようで全く今までとは別物になるでしょう。人間の本性は変えられないという考え方は全くばかげたものです


[国家主権制限の必要性]

 異なった国家(的政府)の間の関係が法によってコントロールされないかぎり、即ち、いかなる国家的政府より強大であるゆえに、一部の人類にどれほど不人気なものであっても、その決定を強制しうる権力によって国家間の関係がコントロールされないかぎり、世界の永続的平和が生まれると希望するのは、無意味である。もちろん国家主権の一かけらでも譲渡するくらいならば、むしろ戦争のあらゆる災害と恐怖をあえて選びたいとする見解もある。この立場は理屈として考えられるとしても、私は誤りだと思う。しかし、戦争には反対だが、各政府が紛争に際して自己の立場の終局的判定者である現在の体制がよいという意見には、いかなる論理の見せかけすらないことは確実である。
 
もしも戦争が絶滅されるべきならば、それは圧倒的武力を備えた国際的な政府の樹立による以外には不可能であろう。そして、(現代にあっては、)戦争の絶滅なしには、文明は存続しえない。論理的推論力よりも愛国的感情の強い人にとって、これは苦しいジレンマだが、われわれがこの二者択一に知的に対処しないかぎり、それは事態の進展によって悲惨に立証されるだろう。

It is useless to hope for lasting peace in the world until the relations between different national governments are regulated by law, that is to say, by a force stronger than any of the national governments, and able to enforce its decisions, however unpopular they may be with a section of the human race. You may say, if you please, that you prefer war, with all its horrors, to the surrender of one itoa of national sovereiggnty. This is an intelligible position, though, to my mind, a mistaken one. But you cannot say, with any semblance of logic, that you are against war but in favour of the present system, according to which, in a dispute, every government is the ultimate judge in its own case. If war is ever abolished, it will have to be by the establishment of an international government possessed of irresitible armed forces. And if war is not abolished, civilisation cannot survive. This is a painful dilemma for those whose patriotic feelings are stronger than their reasoning powers, but if it is not apprehended intellectually it will be disastrously proved by the march of events. (Written in 1933? /In: Mortals and Others, v.1, 1975)


[国際戦争犯罪法廷]


・私のこの国際戦争犯罪法廷(ラッセル法廷)に出席してくれるようジョンソン大統領に招待状を送ったが、不幸にも彼はヴェトナム人を爆撃する計画で余りにも忙しすぎたために返辞をくれなかった。(「ラッセル自叙伝」より)


[日本の私の読者へ:「核兵器全廃のための闘争(1961年12月30日)」]

 広島と長崎の市民を原爆によって大量虐殺したことは、無法極まる犯罪行為であった。西洋人の一人一人に責任があり、関係がある。なぜならば、それが我々西側諸国人民の共通の名において行われたからである。どんな敬虔なまつりごとをしたとしても、またどんなに抗議をしたとしてもこの残虐行為をつぐなうことはできない。

 あの原爆は戦争を終結させるために投下されたのではない。日本政府はその前に講和を申し出ていた。西洋諸国政府はそのことを知っていた。原爆は無人地域で爆発させるようにという科学者たちの懇望は無視された。力の政治による残虐な行為は、今日、核兵器を持つ政府の遂行する政策が、いかに気ちがいじみて野蛮なものであるかを象徴している。・・・。

 英国において我々は、大衆動員による組織的抵抗を行っている。そしてこの運動が国際的となり、圧倒的になっていくことが我々の希望である。成功の保証がないことだけは理解していなければならない。その企てをするか、もしくはなにもしないか、そのどちらかの選択があるだけだ。私は絶望の前に屈服することを拒否する。・・・。

 今日人々が無力なのは、全ての人間が冷淡だからではなく、麻痺しているからである。無関心だからではなく、どうしようもないといった感情が非常に強いからである。・・・。そのような組織的な残虐行為に抵抗して戦う人間は、たとえ一人であれ、理由の如何を問わず、いだずらに黙従する人間全てよりも、同胞に光栄を与えるために、より多くの貢献をなすことができるのである。(理想社刊『人類に未来はあるか』に寄せられたラッセルの言葉:原著は、Has Man a Future, 1961)