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大竹勝「ラッセルの決別の辞」
『ラッセル協会会報』n.15(1970年5月)pp.4-5.

*(故)大竹勝氏は,シュラキュース大学英文科卒,Ph.D., 執筆当時,東京経済大学教授。日本翻訳家協会理事長。ラッセルの『宗教は必要か』(荒地出版社)の訳者


大竹勝氏の肖像写真  一九七〇年二月二日の夜,バートランド・ラッセルは他界した。最近数年間,毎冬彼の健康は気づかわれていたが,その都度,立ち直り,彼の著作や平和運動の発言は次々に発表されて,彼の健在を報じていたので,この分なら超人的百歳をマークするのではないかとすら想像された。思えば一九二一年のはじめ,北京で急性肺炎で二週間危篤の状態をつづけ,日本の新聞記者を通じてアメリカ経由で彼の死が誤報され,あの名門マンチェスター・ガーディアン紙までが弔辞を掲げていさみ足をしてから,はや半世紀を過ぎたのである。
 あの時は,帰路日本に立寄って,ラッセルは山本実彦と連絡したり,賀川豊彦,大杉栄,伊藤野枝などと会っている。自叙伝の第二巻によれば彼は,ミス・イトウ(松下注:伊藤野枝のこと)に最も好感を持ったようである。.ミス・ドーラ・ブラックと一緒に中国を訪れたラッセルがドイツ医師の看護のもとに生死の境をさまよっていた頃,前の妻との離婚は成立したのであるが,帰国の頃ドーラは既に懐妊していたのだから,保守的な英米人は船の上で顔をそむけたと本人が言っているくらいで,さきに彼の死が伝えられた時,第一番に安堵したのはイギリスの基督教宣教師たちであったという。その後五十年間,遂にラッセルは再び日本を訪ねることはなかった。
 彼の訃報に接して,わたしが感慨を深くしているのは彼の三巻の自叙伝の全体に対する跋文である。今にして思えば,この跋文によってラッセルは,世界の読者に訣別の辞を贈っていたことになる。彼の繊密な文章を要約すること自体が躊躇されるべきことであるが,敢て試みるならば次の通りである(あろう)−
「少年時代以来,わたしの人生の真面目な部分は二つのことに専念された。その一つは知ることは可能であるかということであり,他の一つは,もっと幸福な世界をつくることに尽力するということであった。」
 三十八才まで彼は最初の問題に専心したのである。彼は数学こそ最も確実な知識と考えたが,この象のように巨大な構造もあやしくなり,それが乗っている亀を見きわめるのに20年を費し,これも同様に不安定であることがわかり,それ以上に進めないことが明らかになったのみだと言っている。そして第一次世界大戦が来て,彼は人間の愚さに直面することになった。そしてこれと闘うために必要なのは,知性と逞しい精力であることに気づいた。
の画像  彼の人生の後半は世界が悪化した時代にさしかかった。
「わたしの仕事はその終りに近づいているので,全体としてそれを見渡すことの出来る時が来ている。どの程度わたしは成功し,どの程度失敗したのか? 今から七十五年ほど前,ベルリンのティーアガルテン公園(上の写真出典:Google Satellite Map)で,三月の寒い太陽の下で,わたしは,一方に抽象的なものから具体的なものへと,他方具体的なものから抽象的なものへと,二通りの著作を始め,その両者を綜合し,純粋な原理を実践的社会哲学と組み合せようと思い立った。 最後の綜合は未だ実現していないが,わたしの著作は多くの男女に影響を与えたと思う。」
 しかしその成功に対して,内外二面の失敗があったと彼は反省する。
 外面的な失敗は,あのティーアガルテン自体が荒廃していること,彼があの三月の朝,公園に入ったブランデンブルク・トールは,東西ドイツの境界線となり,コンミュニスト,ファシスト,ナチスが相ついで彼の理想に挑戦し,自由は薄弱さと考えられ,寛容は裏切りの衣を着せられたのである。内面的な失敗は,初めプラトンのように,永遠の世界を信条として出発した彼が,永遠の世界には些細なことばかり多く,数学とは同じ事を違った言葉で言う技術に過ぎないという結論に達した。自由で勇敢な愛の心さえあれば,闘わずして世界を征服出来ると思っていた彼は,遂に悲惨な戦争を支持しなければならなかった。これが彼の失敗であるとラッセルは告白する。
「しかしそれでもその底にわたしは勝利感を持っている。わたしは自由への路が実際よりも近いと考えたかも知れないが,そのような世界の可能性を考えたことは間違ってはいない。わたしは将来のヴィジョンを追求して生きて来た。それには個人的な面と社会的な面とがある。個人的には−高邁なもの,美しいもの,優しいものを愛し,俗時にあって洞察の瞬間に叡知を持たせることであり,社会的には個人が自由に生長し,憎悪,どん欲,羨望がそれをつちかうものがないため死ぬような,創造さるべき社会を想像してみることである。こういったものごとをわたしは信じているので,多くの恐怖にみちてはいるがこの世界はわたしを動揺させることはない。」と結んでいる。
 プラトンが語るソクラテスの悲劇的な訣別の辞ではないが,ひとしく壮絶なものを感じさせられるのはわたしひとりではあるまい。