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バートランド・ラッセル-逆説の文化人 (講師:平野次郎)

* 出典:『NHKテレビ3ケ月英会話』1998年12月号,pp.7-18.
* 平野次郎(ひらの・じろう、1940年12月~ )は、元NHK解説委員、記者。現在は学習院女子大学特別専任教授。
*1998年の12月3日及び7日に放送されたもので、テキストは約10ページほどにわたっています。内容はたいしたことはないので、コラムのところだけ紹介しておきます(ただし、注で指摘しているように、誤解・曲解が多数みられます)。


(p.17)

MORE NOTES (平野次郎)

 数学におけるラッセルの逆説を英語で書くと次のようになる。
Consider the set of all sets which are not members of themselves. Such a set appears to be a member of itself if and only if it is not a member of itself.
 筆者(平野次郎)はこのラッセルの逆説の定義をスタンフォード大学が出版した哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy)で見つけた。
 ところが、これを日本語に翻訳しようとしても、読んで分かる文章にはならない。知り合いの数学者に聞いたりして,そのときは分かったつもりになっても、文字にするとまた分からなくなる。そうしたときに思い当たったのが、論理学で登場するエピメニデスの逆説のエピソードであった。エピメニデスの逆説は聖書の時代から地中海世界の人々の口にのぼっていたもので、エピメニデスという 'ウソつき' のクレタ人がその主人公で,このようにいう。

All Cretans are liars. I am Cretan. Therefore I am a liar.
(Epimenides' Paradox, 原典より)
 しかしクレタ人である "I" つまりエピメニデスがそもそもウソつきであるから、彼がいっていることはウソになる。そうするとすべてのクレタ人がウソつきであるというのはウソになり、エピメニデスもウソつきではなくなる。そうすると・・・・・・。バートランド・ラッセルはこのエピメニデスの逆説を数学の集合論にあてはめ、1901年にラッセルの逆説を発表したのだった。(松下注:この辺の記述はいいかげん。「「すべてのクレタ人はウソしかいわない(ウソつき)」がウソ」ということであれば話者のクレタ人はウソをついているが、クレタ人の中には正直なものがある、というであれば、矛盾はない。→ 参照:三浦俊彦著『論理パラドクス』pp.18-19.)

(p.18)

 バートランド・ラッセルという人物を取り上げようと思い、いろいろリサーチを進める中で、ふと「逆説の哲学者」というキャッチフレーズが頭に浮かびました。そもそもは、彼が1901年に発表した数学における「ラッセルの逆説」を理解しようとして大変な時間を費やしたのがきっかけですが、それ以外にも「逆説」を思わせる要素がラッセルの生涯には多すぎました。
 彼には保守党(松下注:平野氏の誤解。ジョン・ラッセルが属したホイッグ党 Whig Party は、自由党の前身。平野氏の言う保守党はトーリー党のこと)の党首そして首相を務めた祖父がいました。しかし、保守党の政治思想に反発したラッセルは、若いとき労働党から下院に立候補しています。(松下注:最初は自由党から立候補、労働党からは1922年、50歳の時に立候補。若いとは言えないですね。)
 それならば生涯を労働党員で過ごしたかといえばそうではなく、父親の後を継いで伯爵になるなど(松下注:正確にいえば、長男フランクが第2代伯爵をつぎ、兄の死後、第3代伯爵)、イギリス保守エスタブリッシュメントの世界に入っていきます。
 絶対平和主義を信奉していた時代もあれば(松下注:これは誤解あるいは不正確な表現)、この講座で取り上げたやりとりに見られるように、反共産主義同盟を主張していた時代もありました。実はこのあとバートランド・ラッセルは世界の科学者たちと一緒にパグウォッシュ会議という国際会議を主催し、核実験反対と核兵器保有反対の強力なキャンペーンを進めるのです。
 こうしたラッセルを私は「逆説の人間」ととらえたのです。物事を常に対極から見る人間の意味です。
 それにしても「ラッセルの逆説」は難解でした。「エピメニデスのウソ」のほうは分かりましたが…。