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松永芳市「個人主義と社会主義についてのバートランド・ラッセルの考え方」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.19-20.
* (故)松永芳市(1899- ?) 氏(弁護士)は当時、ラッセル協会監事

 以下は、ラッセルの文章を私( = 松永氏)なりに簡単に訳したものである。


ラッセル協会会報_第23号
 バートランド・ラッセルは個人の尊重を繰り返し述べている。しかし、「善い生活」には個人として幸福であることが必要であるとしても、それは善い生活という概念の非常にせまいものであるともいっている。人間は孤独では生きて行く価値すら感ずることができない。ほんとうの幸福は、社会的にも幸福であることである。ラッセルは『私は何を信ずるか ( What I Believe )』の中で「個人的な救いと社会的な救い」の題下に、今日の世界ではわれわれは福祉ということについての社会的考え方の方を個人的考え方よりももっと必要としていると述べている。伝統的な宗教のもつ欠点の一つは、それが個人の救いだけを考えている点である。その欠点がそうした宗教とつながりをもつ道徳にも存する。キリスト教は、ローマ帝国内で興ったが、それは自分らの民族的な国は破壊され、ローマという強大国に併合されてしまい、政治的に全然力を持たない大衆の間に興ったのである。その時代の大衆には現実の世界は自分らの力でどうすることもできなかった。ついで、現実の世界とは無関係に、神と個人との対話-神を信ずることにより「個人だけは完全になれる」という教えを信じたのが初期のキリスト教徒であった。他方プラトンは、キリストより約400年前にアテネで一つにまとまった共同社会を考え、共和国の市民という立場で正義を定義している。正義は本質的には社会的概念である。然るに強国の圧制下にあった初期のキリスト教徒は、共同社会のことなど考えることができず、専ら個人としての救いに慰めを求める外なかったといえる。こうした初期キリスト教の影響は近代の西欧諸国に及び、個人主義の著しい発達を見たというふうにラッセルは説き、そして次のような趣旨を述べている。

(しかし、)民主主義国の人民であるわれわれは、専制的なローマ帝国よりも、自由なプラトンのアテネに、より適切な道徳を見い出すべきである。現代において善い生活と悪い生活とを区別する要素はいろいろあるが、要するに、世界は一つの個体であるということ、人間は独立して住んでいるように振る舞ったとしても、世界という個体の寄生虫で、それを意識するかしないかだけのことである。人間が最も完全な意味における「善い生活」を営むためには、よい教育と友人と愛情と子供(=もし欲するならば)とを持ち、更に欠乏とひどい不安から自己を守るに十分な収入と健康と、興味の持てる仕事とを持たねばならない。これらは程度の差こそあれ、共同社会に依存しており、政治上の出来ごとによって助けられたり、妨げられたりする。善い生活はよい社会において営まれる筈のものであり、よい社会でなかったら、それは十分に可能ではあり得ない。
 ある種のよいこと、例えば芸術とか、科学とか、友情とかは、貴族的な社会において非常によく繁栄することがある。しかしそれらは奴隷とか無産階級とかが酷使されて為される。民主主義的精神を有する社会においては、かようなやり方は十分非難に値する。自分のことばかりに没頭する個人主義的な考えは貴族的な理念の一つともいえる。だから個人的な救いという考えはわれわれのいう「善い生活」には何の用もなさない。
 現代の悲惨と残酷と堕落とは資本主義者の為すわざであると考え、性急に革命に訴えようとするものもあろうが、恐らく失敗するであろう。革命はどんな場合でも全然不必要だと私は述べる考えはないが、しかし、革命が至福千年への近道でないことだけはいって置きたい。善い生活はそれが個人的なものであろうと社会的なものであろうと、それへの近道は存在しない。善い生活をつくり上げるためには、われわれは、先ず知性と、自制心と、同情心とをつくり上げねばならない。それは積み重ねて行かねばならぬ量の問題であり、だんだんと改善して行く問題であり、幼時からの訓練であり、教育的な実験の問題である。

(以上のように、)ラッセルは民主主義者であると同時に社会主義者である。ラッセルは大衆が社会人として善い生活のできることを念願し、その方法として社会主義を言っているのであって、マルクスの言っていることとは違うと思う。ラッセルは人間の性質としての欲望を肯定し、欲望は社会の進歩する要因であるとしているから、彼の社会主義は穏健であり、ある意味において折衷的であり、資本主義が社会を忘れ個人の利益のみに没頭するのを是正するにあると私は考える。共産主義者の仲間に内ゲバがあると同様に、社会主義にもいろいろあることを考えるべきである。なおラッセルのいう社会主義については、牧野力氏の近著『ラッセル思想と現代』(研究社刊)のp.110以下を参照されたい