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(ラッセル協会の在り方・提言5)
牧野力「'知る'とはどういうことか」
『ラッセル協会会報』n.23(1975年5月)p.10-11.

* (故)牧野力氏は、当時早稲田大学政経学部教授で、ラッセル協会常任理事


牧野力の肖像写真
 俗に、10年ひと昔というコトバがある。昭和40年1月、故・笠信太郎先生を会長に戴いて。日本バートランド・ラッセル協会が発足した。痛風で不自由な足を何回となく、大隈会館の一室に茅ケ崎から運ばれた先生は、会則の審議にもキメ細かい配慮をされた。「ものの見方、考え方」の著者であっただけに、先生はラッセル卿の発想法への関心は深く、その点に筆者も特に協会への意欲を燃やした。常任理事の諸先生も、お忙しい中を互いに協力して、毎年の講演会や研究会、そして会報や研究パンフレットなどの発行に尽くして、今日に及んだ。しかし、これも、見方によっては、ディレッタント的で物足りないとの評もあろうかと思われる。
 10年たてば、こういう研究団体も、いろいろの変化の波に洗われ、世代の交代の必要に迫られるのは自然の成り行きかとも思われる。中でも、インフレは、善意や奉仕をその限界に追い込む直撃弾である。
 500円・1000円の会費を値上げするのも一法であるかも知れない。また、ここで '若手に交代' '体質改善' というのもまた望ましい一法かも知れない。
 向こう1か年間、会費を徴集せず、会報も休刊する(松下注:結局、この第23号が終刊号となってしまった。)。そして、各地の愛好家・研究家が自発的にグループをつくり、自主的な活動を行い、横の連絡の必要を痛感した時点で、その時点の発意に従って、改めて決断を下してはどうか、と思う。若い世代へのバトンタッチという意味である。その時まで必要なれば、横の連絡の郵便ポストになる用意もある。各地のグループが年1回の機関誌の発行が必要ならば、経費の均等負担の方式で、発行するのも一法ではあるまいか、と思う日もある。しかし、そういう場合にも、検討を要求されるのは、「ラッセルを知る」という意味あいであるまいか。

 知るだけで満足する人(これはラッセルの数学・論理学・哲学などに関する概念内容への関心のある研究家に多い)、知る内容について、互いに語り合う意欲の人(これはラッセルの人生論・社会哲学・平和問題などのいわゆる通俗的読み物に心ひかれた人に多い)、それから、知ることと生きることとに相即的意味を感ずる人(これは、ラッセルの語る知識や概念、その概念操作や再構成を知るだけでは満足できず、むしろ、ラッセルの生き方と語られる知恵とについて、関心を寄せる人)なども少なくない。ここでちょっと断わるが、筆者がここで、'知る'ことについて改めて問い直すのは、何も、デモの先頭に立つラッセルや坐り込みを想い出して、政治活動との直結を示唆し、勧奨したいと思っているわけではない。
 ラッセルを読み、ラッセルの生き方をあわせ考える時、それぞれの心情によって、歩む道は分かれていくように思うのである。それは知識として読むか、意味をどう受けとるか、の問題かも知れない。これは、理解の対象が『純粋理性批判』の著者ではなく、ラッセルであることにある。ラッセルをどう読むかによって、このちがいも生まれてくるのではあるまいか。
 ラッセルをヒューマニスト・ラッセルと感得する時、「ラッセル読みのラッセル知らず」にならぬようにという自戒の心が筆者に湧くからである。
 今後、ラッセル協会のあり方を考える上で、この辺の事情をもっと明確にする必要があるのではあるまいか。諸賢の教えを乞う次第である。