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牧野力「民主主義の第三の試練−ラッセルの民主主義論研究」
『(早稲田大学政経学部)教養諸学研究』n.28(1968年6月刊)pp.25-48.

*(故)牧野力氏:当時早稲田大学政経学部教授、ラッセル協会理事



(本稿は,昭和42年5月18日、朝日講堂において行われたラッセル第95年生誕念講演会における「ラッセルの民主主義論について」に加筆したものであることをお断りする。)

目 次
   1.はしがき
   2.民主主義の種別(「日本的民主主義」は在るのか)
   3.民主主義の起源と沿革(西欧的民主主義の背景)
   4.民主主義の本質的論理(人間的・社会的素因の函数関係)
   5.民主主義の関係問題(少数派処遇,自主と統制,大衆と指導)
   6.集団の論理と独裁の魅惑(民主主義終曲と再生の分岐点)
   7.むすび

 1.まえがき

 '民主主義'とか'民主化'とかいう言葉が今日(注:1968年)ほど頻繁に使われる時代は今までになかったのではあるまいか。これらの言葉を聞いたり,あるいは,読んだりしない日はない位である。そして,民主主義を否定することが一種のタブーのように感ぜられている。今日,公然と敢て民主化に反対することは一般に考えられない程である。この中で,民主主義への安易な共鳴や利用が横行する。意義は混乱し,乱用は混迷につながっていく。そして,暗中模索にあきた人々が反対のものに魅せられる時が訪れる。そして,やがて,幾多の血をもってあがなわれた生命の真実の叫びやその歩いた道は見失われがちとなる。
 しかし,'民主主義はごめんだ' とか,'民主主義は群盲主義だ。民主主義なんて,手間暇のかかる厄介なシロモノだ!' という声も蔭でささやかれる。この声が,民主主義の本質的条件としては,不適格であり易い国民の精神的基盤の中で,逆な方向に向って培養されてゆき,戦後から二十余年を数える今日,復古調の波に乗って,強くなっていく。
 揚句の果に,「日本的」民主主義という造語も誕生し,混迷は度を増す。
 民主主義を論じたものもおびただしい厖大な量である。それぞれのちがった視点や角度から述べられている。そして,その説き方の体質や肌あいにもいろいろある。純粋に学問的で,概念規定の厳粛なもの,構成の稠密なもの,現象的に取扱っているもの,沿革史的なもの,等々,いろいろある。その中で,B.ラッセルの民主主義論は人間論的である。(民主主義が人間対人間の対話・処遇の関係であるかぎり,人間自身への洞察を忘却しがちな民主主義論には何か物足りないところがある。)
 また,ラッセルの人間的洞察には,彼独特の把握法がある。それは機能的な論理的な関係に根ざすものである。(これは,ラッセルが数学基礎論や記号論理学を大成した頭脳的な営みを反映していると言えよう。)
 要するに,ラッセルの民主主義論は,深い洞察に裏付けられた人間論的肌合いをもつ。民主主義という概念に盛られる内容が含むいろいろの関係要素,それらの機能的な論理関係を見失わずに彼が把握している点で,一つの特色をもつ。
 勿論,彼の民主主義観を絶対視することは不毛な発想であるが,少くとも,われわれの探求的理解の過程において,ある位置を占めるべき意義はあるように思う。
 (ラッセルの民主主義観の理解において,筆者自身の誤解もあるかも知れない。例えば,今日の民主主義が第三の挑戦を受げていると観る如き点もその一つになるかも知れない。今日の民主主義の再生への希望を,教育の改革と電子工学と情報理論とにかげて,打開の道を考える楽観論もまた,次の誤解かも知れない。)

 2.民主主義の種別(「日本的民主主義」はあるのか)

 民主主義の名の下にいろいろの概念が横行しているのも衆知の事実である。それぞれに政党的背景もある。そして,相反した極地化した思想であるにも拘らず,'民主主義'なるレッテルを貼っている。
 西欧的民主主義;人民民主主義;指導的民主主義などの呼称は,誰にも想起されるものであろう。それらに更に,「日本的民主主義」なる表現が加ってきた。(最近膨張を誇るある政党の首領の発言にもあった。)安直な発想による合体としか思われないようなこの新語にも追従者が現われ出している。
 個人の自由と代議制と多数決制とを内包する西欧民主主義;人問疎外・非人間化の要因である「階級」を打破するためには無産階級の独裁をも許容し,その独裁を正当化する人民民主主義;後進性から脱却し,独立国建設のために指導力を優先させざるを得ない指導的民主主義,それに合成的発想である日本的民主主義など,それぞれに差異と共に,共通点がある。
 その共通するものとは,人間に即した現実的な要求を容認した上で,その呼称を成立させるものである。これは人間存在に根源的なものとして否定できないものである故に一般の承認と支持とを得る基礎を成すものである。ここに,民主主義の否定をタブー視する素因がある。
 つまり,民主主義は人間個人のお互同士の幸福,欲求の充足を保証する公算の最も多い人間相互の対話処遇の方式であるからであろう。
 だのに,いろいろの種別に分れるのは,視点乃至価値観,伝統的体質,指向内容,実現方式,あるいは,経過などの差によるのであろう。
 同じ共産主義を奉ずる国をみても,スターリン在世中にすらチトー主義があったし,最近では中ソ両国の対立は衆知である。更に同一圏内の共産国間でも,更に細別が可能であるかも知れない。民主国についても,その性格・傾向・特色のあることも事実で,その限りでは,アメリカ民主主義、イギリス民主主義、フランス民主主義という呼称・種別も成立する。だからと言って,民主主義の基準本質に差があることにはなるまい。差は具現の姿・経緯の差である。 の画像
The character of a democracy is very largely determined by the forces which it regards as its enemies. American democracy at first was directed mainly against England. French democracy was directed in 1789 mainly against the large land-owners. English democracy in first half of the nineteenth century was engaged in acquiring power for the middle-class, but, after that, was seeking power for wage-earners and was regarding large employers as the enemy.*1
 民主主義は,元来西欧的伝統の中で育ってきたし,人間社会が移り変る過程で,変質あるいは拡充をしてきた。従って,上述四種の呼称についても,西欧的民主主義は原型を知る上でも無視できない。人民民主主義はマルクス主義につながり,新しい価値観世界観に立脚していても,西欧民主主義の拡充されたものである。指導的民主主義は後進性の強い大衆に対し封建性打破と民主的改革を統一的に指導して,その効率を高めるようとする一種の工夫であろう。しかし,日本的民主主義とは何であろう。
 日本と民主主義との関係を考える場合,過去において,民主主義と称するに値いする事実があったか,明治維新以降はどうか,戦後はどうか,これらについて反省する必要があろう。そしてそれが日本的民主主義についての一つの示唆となるかも知れない。勿論,過去になかったことが今後の存在を否定するということにはならない。しかし,存在の可能性を考える上で,少くとも国民的性格・精神的傾向がとりあげられ,検討されなければならない。
 人間という個体は,その生命の拡充を求め,各種多様な欲望を充足せんとして,人間と人間との間の相対関係において,相剋に対する方策・方術を工夫する。その原型的初歩的段階として,自己主張を前面に出す傾向や発想法は,古来の日本においても存在していた筈である。しかし,それが思想的背景として存在する点では日本人全体からみれば極く部分的であった筈である。全体的には,個の意識・自他の意識の識別・相剋・闘争・克服という過程をたどるよりも,'和'の美名で語り伝えられてぎた人間関係,実は統率者の温情を優先させる服従関係であったように思われる。仁徳天皇が「民のかまどからのぼる煙」を見て免税を思いつく話などはこの点を意識的に物語っているのではあるまいか。そして,この主従関係を,単に現象的にとらえる以前に,思考心理学的に着眼してみなければなるまい。この主従関係は,後述の西欧的民主主義の起源や沿革とは,想念の点でも,具現の方式の点でも対蹄的と言いたい。かかる精神面の生れる母胎をも考える必要がある。
 それを探求するには,日本語と日本文化,日本人が自然に対応する心情をも考えてみる必要があろう。
 (民族言語はその民族の思考性格と相関し,かつ支配し合うというのは筆者の仮説である。英語が英国人の思考形式と相関性をもち,日本語と日本人の思考性格とに相関性のあることは,教室における日本人学生に英語を教える経験の中でも看取できる。*2 yes と no の用法の精神的背景,every なる単語の語意成立の精神的背景に,それぞれ,個人本位や民主主義, give and take の互譲精神を育てる精神的基盤が厳存する。)
 百姓一挨・農民蜂起などは,日本においては,上述の主従関係が限界点を越えた場合の現象で,その蔭には個の意識・自他の相剋などから出発するパリ・コムミューンの精神的系列は乏しい。
Holders of power, always and everywhere, are indifferent to the good or evil of those who have no power, except in so far as they are restrained by fear.*3
 西欧では権力者が大衆に無関心であるという上文の表現が,われわれ日本人には違和感を与える程,日本人の精神的風土は,温和な自然風土の性格に相似している。佐倉義民伝は日本的性格を示唆している。
 日本的精神風土における人間関係は'和'を成立させる主従関係に支持されている。ここでは,下層が上層に対抗する姿よりも,上層から下層へと,'御下賜'されるという雰囲気になり易い。
 五箇条の御誓文を日本的民主主義のシンボルと考える人もある。起案者の想念には民権思想がひらめいていた限りにおいて西欧的民主主義に接近したと言えようが,その社会的成立の経過は,全く日本的特色を発揮している。人民が血を流して手に入れた西欧的経過とは逆に,統治に照した上の規範として上から下へ'賜った'のである。人民は獲得の権力主体でなく受与された者にすぎない。(これは戦後,米国から民主主義を国土に受植した経過に共通する点が看取される。人民の主体性は乏しい。この意味で西欧的民主主義の移植を'敗戦の落し子'と呼ぶことは甚だ意味深長である。)
 人民が主体的に手に入れた民主の旗印でないので,民権思想はやがて大勢に押されて影がうすくなった。五ケ条の御誓文で幕を明けた明治維新は,後進性脱却のために文明開化を指向した。倒幕により制度的に封建性脱却は一応目鼻をつけたが資本主義化に邁進する風潮は,西欧的個人主義;フランス的民権思想;儒教的・易姓革命的・人権思想を中核とした民主思想を圧倒した。富国強兵主義を国是とし,中央集権化は本格的に進み,軍国主義全体主義に偏向した。
 日本的思考性格は皇国思想と合体して,八紘一宇を指向し,衆知の歩みをたどった。その中で,一部の人民民主主義思想の持主たちは,西欧的自由主義者と共に圧死させられた。しかし,第二次大戦への日本の歩みは,当時の国際的地位,国力,日本的思考性格のたどった必然的な姿でもあった。ここに一億総決起という標語による総力戦の成立する根拠もあり,また日本的性格も看取できる。
 全体主義で集った'持たざる国'日・独・伊'に対し,同盟国は何といっても枢軸国にくらべて民主的であった。
Anyone who will take the trouble to survey the important wars that have occurred during the last two hundred and fifty years will find that in every case, they have been won by the side which made the nearer approach to democracy. *4
 戦争が自已に直結しているという連帯感よりも召集令状的実感としてせまってくるところに,また,軍閥批判が代議土議席離脱につながった斎藤隆夫事件の示す点に,敗戦の必然性が内在していた。真相は人民の前に示されなければならなかった。
It is an essential element in democracy that any member of the public should be able, without too much trouble, to find out the truth when there is a dispute as to facts. *5
 占領軍であった米国は,人間対人間の自主的意識に立脚したクロムエル軍隊の中の水平派(Leve11ers)の系統の人々によって育成された民主国であった。荒野の開祐は民主主義によってはじめて成功した。
Democratic theory, in the modern sense, was not invented by Rousseau but by the progsessive element in Cromwell's army. These men failed at home, but carried their doctrines across the Atlantic where, after a period of incubation, they at last gave birth to American democracy. *6
 どの民族も,その国策のたどった道が成功を物語るものであれば,自信と誇りをもって,他国にすすめたくなるものである。日本のアジアにおける歩みもまたその例外ではない。米国の対外政策もまた例外でなかった。占領軍は西欧的民主主義を移植し,進歩派は平和憲法を置いて行った。西欧的な個の意識に根ざす精神的基盤のない国民,上から与えられる温情的主従関係に慣れ切った国民には,米国の真意も善意もわかり難く,またその反面,その民主主義輸出の裏にある論理関係も亦見透せる筈がなかった。*7 資本主義の反極である共産主義的視点からのみ発想する傾向が強調され,米国の対外政策の民族的背景としての必然性は忘却され勝ちである。この必然的な背景は百年前は人類に希望を与える革命的な前向きの意味をもち,現代ではヴェトナムにおける反動性を露出している。
 サテ,日本的民主主義に戻る。日本における意識発想の伝統には個の自主的意識は乏しく,戦後の生活環境と思考の中で,意識の自己革命をしない限り,少くとも民主主義の筋金は入らない。日本的という修飾語にどんな意味が追加されるか知らないが,思考法や意識の伝統には矛盾し易い傾向があり,それは民主主義を育成する要素にはなりにくい。 余りに安易な合成をしても現実に離反される。

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 3.民主主義の起源と沿草(西欧民主主義の背景)

 西欧的民主主義はその起源をギリシアの都市国家に端を発した。
Democracy, both the word and the thing, was invented by the Greeks. So far as is known, nobody conceived of it before their time. There had been monarchies, theocracies and aristocracies, but nobody had imagined a system in which all the citizens should have a voice in government.*8
 ギリシア国民の着眼工夫の心底には,前提として,人間対人間という関係における主体性・自他意識・自己主張のための知慧と工夫とが存在していた筈である。その強弱が民主主義の在り方にも影響した。民主主義の凋落には都市国家の膨張と発展が一つの素因となっていたが,野心家の裏切りは見落せない。貴族や金権政治家に挑戦する人民闘士が先ず己を人民代表の闘士として売り出した。充分人気や支持を得て地歩を確立するや,これら闘士は用心棒と結託し,人民を疎外し,潜主となり,暴君に変り,民主主義は崩れ出した。ギリシア国民はこの種の事態に対処する方式を案出できず,ローマ時代に及んで遂に民主主義は衰えるに至った。(直接民主主義が野心家に裏切られて亡びる経緯には,間接民主主義である代議制が政党政治の在り方によってその効用と価値とを軽視され,不信を招く経緯に似ている。)
 権威主義の時代でもその蔭で,市民活動が活発になってゆく時には,民権思想が盛んになり,民主的傾向が成熟していった。永い沈黙の後で,11世紀にロンバルディアに始まった商業の繁栄はやがて北方に拡り,ハンザ同盟の諸都市にも波及していった。商人・町人・市民などは城内(Bourg)に居住を許された市民として,やがて,実質的に社会を支配する運命をになったが、それ以前に自主的な強靱な根性をもっていた。近代的自由主義を開いたミラノ市において,同市の皇帝と大司教とを向うに廻した闘いの揚句,自由を奪取したのはミラノ市民であった。
 市民の欲求が,個人主義・自由放任主義・資本主義へのコースをたどったのは必然であった。
 イギリスのマグナ・カルタ,フランス革命,アメリカの独立戦争など,それぞれの性格をになってはいたが,自主的な人間の人権拡充としての一本の筋が通っていた。イギリスの水平派(Leve11ers)の精神は遂にアメリカの独立宣言に結晶した。
 他方において,資本主義の解剖と対策とを階級打破と人間解放の革命に求めるマルクス主義にも系統上血縁関係がある。政治的野心と経済的正義の達成のために,民主主義は変転の道を歩んでいる。
 要するに,神政政治,君主政治,金権政治,貴族政治などに対抗して,直接民主政治が誕生したが,人間生活の在り方において,そのいろいろの素因の変遷と運命を共にした。そして,質的変化も受けた。
 民主主義は誕生したが,野心家である潜主に利用され,裏切られたが,ギリシァ国民にその対策がなかった。そして衰退した。これは民主主義への第一の挑戦であった。地上に消えた民主主義は11世紀に徐々に復活し,近代国家の誕生の歩みと共に,直接民主主義の原型は難関に逢着した。ルソーは民主主義をギリシァ都市国家と彼の故郷ジュネーブとにおいてのみ可能と考えていた。しかし皮肉である。彼の所説が民主革命ののろしとなった。民主主義が代議制へと質的変化をせざるを得なかった。これは民主主義への第二の挑戦であった。人間の工夫により,民主主義は代議制により今日に及んだ。しかし,権限委譲の方式としての代議制にも,幾多の反省と修正とを必要とする要素がある。組織の厖大化に伴う物理関係はいろいろの点で人的能力の限界を超えた問題を発生させる結果,権限委譲としての代議制は形骸化していく。これは,第三の挑戦であろう。権力獲得への保証として独裁制が改めて再検討されてくる。民主政治と独裁政治の択一の問題は集団性の論理が展開される前で人間の工夫を要請している。人間対人間の対話方式・問題解決方式としての直接民主主義が間接民主主義たる代議制との質的調和・交点を求める必要があり,代議制が形骸化する現実は正に第三の挑戦ではあるまいか。

 4.民主主義の本質的論理(人間的・社会的素因の函数関係)

 民主主義は何か,という問に答える場合,民主主義という概念内容を構成する素因,あるいは,関連する素因が,それぞれ,どういう論理関係に立っているか,を解明していくというアプローチの仕方もある。
 しかし,民主主義発生の根源は何であろうか。
The first and strongest argument for democracy is human se1fishness(9)
 この人間の利已心,白已中心性は,個体としての人間が必然的に生命体の拡充を欲する姿である。ここに,民主主義を否定することが一種の自已矛盾となりうる理由がある。これは,「人類の歩みが民主化の歴史である。」という表現を可能とする一つの根拠であろう。そして,その人問が個体としてもつ諸機能とそれらの論理,杜会的生存を余儀なくされている人間存在が他と相関的に関係する論理というものなどが,民主主義の性格を規定していく。民主主義は対話と処遇との一方式であるがいろいろの素因の函数的関係を内包している。それを,長所・短所,利点,適用隈界,育成要素と阻害要素という項目でまとめてみる。
A.民主主義の本質的なもの
(1)寛容:民主主義の成功に絶対必須である。*10
(2)遵法:法律尊重なき所に民主主義の成功なし。*11
(3)真相:公開誰も問題の真相にたやすくふれられない国は民主国に非ず。*12

B.民主主義の長所
(1)残虐防止:民主主義の第一かつ最大の長所は残虐防止を保証し易い。*13
(2)権力分散による参政:代議制により権力悪に対抗しうる道をひらく。*14
(3)対立解消:民主主義第二の長所として対立解消に役立つ話合いの場をつくる。*15
(4)戦力増大:納得づく参戦と政府批判とを保証する故,結局,戦力増大となる。*16

C.民主主義の利点
(1)厭戦的:古今東西,庶民男女は厭戦的で・上流階級に煽動、利用される。*17
(2)政府批判:政党政治や野党の与党批判などは,自由と進歩とを保証する。*18

D.民主主義を阻害する要素
(1)狂信:民主主義を窒息させ,民主政治と共立しないもの。*19
(2)国家主義:民主主義を根断させる危険をもち,平和より戦勝へと国民を駆り立てる。*20,*21
(3)相互不信:共通の基盤をもちえず,対決・実力行使・暴力行使に走らせる。*22,*23
(4)代議士の腐敗:国民の参政・間接民主主義の実効を消去する。*24
(5)権力の集中的掌握:権力悪を生む。権力者は人民に無縁となる。*25
(6)政府への無批判:独裁化から権力悪を生む原因を作る。精神的自由も失われる。*26,27
(7)警察のあり方:法律実施・違反監視をしてくれると期待されているだけに,誰のために奉仕するかによっては加害者にかわる。権力行使者であるだけに徴妙な存在。*28
(8)軍隊のあり方:内乱,クーデターの実例をみればわかる。*29

E.民主主義の適用限界
(1)互譲的精神的基盤のない国:'妥協'(Compromise)を原則の放棄と感づる国民には話合いは出来ない。自他に共通する基盤を発見できない者に寛容も生れず,互譲による対立解消も生れない。*30
(2)文化的後進国:自他の意識の確立,対話形式への訓練,明知,経済的余裕などのない未開発後進性のある国には輸入しても実効はうすい。*31
 以上のラッセルの記述から次の関係がよみとれよう。
 民主主義を具現する一つの主要な項目である主権在民は権力悪に対して;寛容は多数決制によって生れた少数派への処遇として(ラッセルは人類の進歩は少数派の見識に負うことが多いと考えている);遵法精神は交替・変化・修正・廃止の円滑な手続的媒介として;真相公開は主権者全般の自主的判断資料の入手法として;それぞれが基本的に必要と考えられている。
 長所と利点とは,前記の条件の満たされた場合の機能と結果である。阻害要素とは,民主主義の本質に対立して,それらを阻害するものになっている。
 適用限界は,民主主義が上述の諸要素とに相互に関係し合っている故,何らの特効薬的なものではないが故,民主主義が当然無条件に手放しで成功するものでないこととその限界とをも示している。
 民主主義の発生の根源が人間の利己心,自己中心性にあり,客観的存在物でなく,人間という慾の塊り同士の対立・対話を調整する方式・手続きの関係であり,その相互関係だからこそ,共通の基盤を発見し,その線上あるいは圏内で一方的な発想でなく,相互の利害を双方で考え合って妥結しようとする考え方の実践行動が必要となる。その論理を承認採用しないところでは,民主主義は全然無縁とならざるをえない。寛容とは,その意味で,自主性に裏づけられた自己の意識が,自他の同時許容となった結果である。共通点の発見は妥協(compromise),互譲への発展となる。双方に根拠があって,これを生かす権利がある筈である。これは対立的な思考法・極地化的思考法に対し,同時的相関性を意識する世界である。妥協を自己を主張する原則の放棄とみなさない発想法である。(every は each representing a11 である。分析的認識判断と綜合的判断との同時意識を母胎にする思考世界である。この思考意識は日本語にはない。エゲレス語を学び始めた一世紀前のわれわれの先達たちは,「一つ」と「残らず」とを合成造語で,これを訳出しようと工夫した。この一事の中にも,合成語を必要とする日本的思考性格,一本調子になり易い直線的思考を誘導する日本語の言語構造とそれによる思考性格の宿命があると言えないだろうか。)
 民主主義の本質的論理は,生命の拡充を中核とする人間対人間の関係において,人間自体の論理と対時する人間集団の論理とが人間的及び社会的素因として相関する函数的関係である。だから現実的な適用に限界が生れる。人間的・社会的素因は変数として作用する。そして,その変数が人間的能力の圏内にある時代と人間的能力の圏外に出る時代とに,民主化の歴史の第三期が挑戦的な姿で展開されるのではないだろうか。

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 5.民主主義の関係問題(少数派処遇,自主と統制,大衆と指導)(続く)

 民主主義に対し、上述の観方の外に、民主主義と不即不離の関係にある次の点を考える必要がある。
 (a) 少数派処遇問題
 民主主義により主権在民が制度的に保障され,権限委譲の一法として代議制を採り,議決の行われる時に,多数決制によって,少数派が生ずるのは当然である。
 この少数派をどう処遇するかは民主主義実践の成否にかかってくる。多数決制に安住し'の暴力'と呼ばれる慣例現象に終始する議会があるとすれば,之に対応するものは暴力行動か,外部の改革勢力の出現しかない,という印象を与え易い。議会への不信・否定を発想させる。安易に流れ,術策に堕した多数決制は充分に民主化阻害の要素である。多数派と少数派との意味をよく弁別せず,多数派が一方に偏して一党利に走る傾向は民主主義崩壊の第一歩である。'わが世の春'に酔う政党の出現は,また一方では国民自身が政治的利害に鈍感で後進的思考の持主であるかあるいは,野党の徴力によるのかも知れない。
 多数意見は本来少数意見より進歩的でなく,安易な保守的,慣習的,通念的な発想に堕し易い。社会生活が複雑に,高度に分化する傾向が生れ,集団が厖大に,組織密度が濃くなるにつれて,多数派意見より少数派意見が優っていることが多くなり易い。*32一般人は安易に浮動しやすい。群盲の浮動が民主主義や代議制を形骸化しやすい。
 A問題に対する意見について,甲は多数派に,B問題に対しては(甲は)少数派になりうるという傾向,あるいは,多数派意見が少数派意見に対し,その優れている点を生かす熱意と雅量とがあれば,多数派意見と少数派意見との存在が民主主義の阻害要素とはなりにくい。不明・頑迷・利害に走る時,少数派は常に片隅に追いやられ,理性的営みよりも物理的・暴力手数に訴えて打開を計ろうとする。民主主義が成功するために,明知に根ざす寛容を生かす場の発想が必要で,民主主義と知性乃至教育とが不可分であることを示す。多数が安易な現実的利害に走り,問題の本質を理解するに必要な知性的態度を持たぬ時は,その多数決は,虚妄の決定となろう。
 だから民主主義者であることを自負する人が真の民主主義者であるか否かは,少数派意見に対する態度で判別できる。これは恰も,真の自由主義者であるか否かの識別は,彼の好まざるものに対し彼がどういう態度をとるかによって判定しうる事情に似ている。*33
 米国の黒人作家 Richard Wright の白伝的作品 God That Fai1ed の中で次の場面がある。ある黒人青年が肌の黒き故に生れる苦悩・受難から,魂の解放を保障する共産党に入党するのを母親に納得させようとする時,(1930年代の米国の最大の不景気時代),母は共産党への先入観と恐怖心とを述べる。入党する青年は「黒人を解放し,自由を与える政党」であることを力説し,母を説得しようとする。
 びっこの洗濯女に過ぎない彼女の口から最後に,「その政党は少数派に対してどういう態度をとるのか」という質問をした。
 少数派を生み出す多数決制は民主主義の要である。多数派と少数派との問題をどう具体的に処理するかは民主主義成否の鍵となる。両者の関係を固定化させず,両者の差異に極地化的発想を行うよりも,その差異をほぐし,共通的なものを発見して,妥協しようとする発想に,互譲(give and take)が生れる。ここに前述の如く,every という指示意識のなかでの特異な発想を内包する世界がある。
 要するに,多数決制の影である少数派をどう見るかその意識と行動とから,その見る性格如何によって,暴力革命容認や独裁への傾斜が当然生れる。革命や独裁より以前に,この点が反省重視されるべきではあるまいか。
 多数決制そのものに由来するかかる問題に拍車をかけるものとして,議会制への不信,代議士への不信がある。これは,権限委譲問題である。どうやって,あるいは,誰に委譲するかの問題である。ここで,ラッセルは,人気闘士がアテネで支持した人民を裏切って,護衛と結託し,潜主・暴君に転身した事例と今日の代議士(M.P.)とを比較している。これを民主主義への新たなる危険要素と称している。これは,機構とか方式とかでない人間自体の問題が底にひそんでいるから,人間の属性問題でもある。
 民主主義の核である多数決制も権限委譲方式も機能的なものであるが,之らは更に,人口の絶対増に由来する組織の厖大化によって,脅かされている。

 (b)自主と統制
 人間は社会性をその誕生以前に背負い,出生は個体性の具現でもあり,放たれた矢の如く,生命の拡充を求める十字架を負うている。その中で,個体の自由な活動を求めてやまない。(慣れたものに安心し,新しいものに不安を感ずるのも個体の生理的必然であり,それが習性化すると,新思想に警戒心を抱くに至る。)他方,人間は個体性と社会性との二重写しである。自主と統制とは人間の生存自体に内在する二重性の姿である。そして,個体と個体との対話・処遇の方式である民主主義に当然関係して来る。
 二律背反的である自主と統制とは,実は民主主義の一つの本質的な性格で,一方では独創的想念を承認・奨励し,他方で多は数決制で民意を集約・択一する関係をもつ。そして自主と統制とは,大規模な集団化の攻勢を受けて,調整をはかりにくくなる程に増大するばかりであろう。(この困難度の増大に由来するものが別な新しい要素として作用してくる。)自主と統制とが原型的にもつ相互の論理関係は,大規模の集団化という素因によって,民主主義に質的変化を当然与える。

 (C)大衆と指導
 大衆が「権力」を分配されても,未組織では権力分配の意味を欠く。その組織化の過程と目的とにおいて効率をもつためには何らかの指導的関係が出てくる。
 指導・統率・独裁の別には合意の程度の差もあろうが,今日,主権在民的大衆の集団は,その厖大化に伴い,内包している問題点を鋭角的に示現していく。それが,民主主義への脅威となってくる。
 個人対個人の話合いは更に,群の枠の内部の「差の対決」に移り,大集団の枠内での調整の問題へと発展してくる。
 上意下達・下意上達という発想伝達の two-way system の流動か,独裁という one-way system かの差が民主主義の次元で問題となる。
 上述の多数決制と少数派処遇,代議制への不信感が,厖大な組織体内において,対内民主主義の芽をつみがちである。そして,非能率と混迷とに苦しむ大衆は,指導者を求め,統率が独裁に変ってもそれを容認し易くなる。そして,民主主義は崩れる。民主主義と独裁との関係は原型的には小団体にも存在しうるが,組織の厖大化という機構的な面が独裁化を招きやすい要素をもつ。勿論人間の属性の面も教育の実効・成果と共にそれを支える契機を意識・思考・判断の面で作り易くなる。
 現代において,組織の厖大化は,集団性の攻勢として,その論理的展開を各所で行っている。(教育の分野でも目ざましく展開されている。大学の大衆化により,大学は危機に見舞われている。)
 要するに,民主主義に挑戦する素因として,少数派処遇の問題;自主と統制の問題,大衆と指導との問題がある。底に属性と教育がある。
 これらに,共通してくるものとして,独裁化の点があげられる。そして,それに拍車をかけ激化させる要素は絶対的人口増である。集団の攻勢である。原型的な規模で,何とか辻つまを合せてきた上記の諸問題は,組織の厖大化と組織の稠密化とによって,解決してきたかにみえた面に更に新らしい要素が加わった為,未解決状態のままで,否定的に激化されてきた。これは,恐らく,単に,民主主義論争だけに限られたものではなく,あらゆる人間生活の内,外の分野に浸透している。そして,集団はその論理に従って猛威をふるっている。人間の解決能力の限界を超えようとしている。

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 6.集団の攻勢と独裁の魅惑(民主主義の終曲と再生の分岐点)

 現代は'集団化'の時代である。「考える」葦でありうる前に,波に浮沈をまかせる一枚の葉となってしまいかねない。個人と集団との関係で,個人の力を生かしうる機会は乏しくなり,組織の厖大化は細胞の極徴化を求め,独創性発揮の場を狭くする。やがて,組織の若々しさは失われ,老化し,枯死する運命をになう。
 '集団化'が顕著になるにつれ,個人の自由と精神的自由とは後退し始めた。*34個人的自由,市民の自由,考える自由は,望ましい姿の二大政党政治において保障され易い。集団化と組織体の能率低化とに反発して,指導力を発揮し,全体の能率を上げようとする時,二つの道がある。独裁の道と対内民主化の道とである。いずれを選ぶかは,民族的思考性格,時代の流れ、環境的要素によっても異るが,前者は短期的である程度効率を発揮しうるが,この権力体制は人間的属性からみても,長期化しがちである。そして,初期の目的を毒する腐敗解体の現象が続出すると,その体制の運命がきまる。後者は,前者が非常時的・戦時的であるとするならば,平常時であるし,平和的である。前者は被害範囲のせまい後進的国家では効率が総合的に高くなるが,文明度の高い稠密な組織化が大規模に行われている先進国では,被害範囲がその被害度と共に,効率を総体的に低下させる。
 しかし,何よりも独裁は目的とはならず,つねに手段であって,手段としての意味味づけを与えられるだけであろう。その理由は人間的属性がそうさせるからであろう。独裁の意味づけは手段としての評価に従う。
 稠密な組織化,組織の厖大化,文明的水準の上昇化と複雑化,などの行われているところでも,一方では独裁化の要素をはらんでゆく。民主主義はその中で第三の挑戦を受けている。独裁問題は現代的課題である。
 人民民主主義は,プロレタリア独裁を,階級打破・消滅の手段として肯定し,意味づけている。民主主義と社会主義とを支持する熱意を失わぬラッセルは、「権力」と「独裁」とについて次のように考える。*35

 人間の果しない欲望のうちで一番目立つものは,'権力'と'栄光'に対する欲望である。・・・。

 エネルギーが物理学の根本概念であるのと同じ意味で,社会科学の根本概念が権力(Power)にある。エネルギーと同じように,権力にもいろいろな形がある。一つ一の形の権力だけを孤立させて扱うのは,部局的で,エネルギーを調べる場合と同様,何処かに欠けるところがある。社会の力学の法則は,権力という点からみて,はじめて陳述しうる法則であって,決して,特定なあの形の権力とか,この形の権力とかによって述べうるものではない。・・・。

 権力愛は人間の動機のうちで最も強いものの一つだが,その分布状態は実にまちまちである。・・・。

 権力愛は臆病な人々のあいだでは全く姿を変えて,指導者に盲従する衝動という形をとることがある。・・・。

 組織というもののために必然的に生じてくる'権力の不平等',しかも社会が有機的になるに従って,減るどころかますます増えてゆく傾きがある'権力の不平等'にわれわれは堪えてゆく半面をもつ。〔独裁の条件はここにもある。〕・・・。

 独裁制は支配と屈従の本能的機構のあるところに一番生れやすい。平等な立場で人々が協力しようとすることは,独裁制よりはるかにむづかしく,まして本能と一致するものではない。・・・。

 〔民主主義は本能的であるより知性的努力の反映である。〕

 独裁制を支える臆病な者たちには,組織内にある安心感,集団的興奮,甘美な酔心地を味い,それはやがて穏健らしさ,人間らしさ自己保存の念も忘れ,殺戮や殉教にも走る。そして,ますます強い刺激を求め,度を増してゆく。・・・。

 権力の座にひとたびついた者は誰もその権力の保持に汲々とし,その中央集権を強化して自分たちの私利を計る機会が増加するのを着実に実行する側近者群が生れ,崩壊に至るまで続く。・・・。

 これに対し,民主主義が安定をえるのは,民主主義が永いこと続いて伝統的なものとなった場合に限る。・・・。

 
 「悪政は虎よりも猛なり」と礼記にあるが,権力を手なづげる問題は古来からの問題である。道教は之を解決不能として無政府主義を,儒者は権力保持者の聖人化を,プラトンは智者賢人に仕込むよう,唱道した。しかし今もってこの問題は解決されていない。・・・。

 民主主義は完全な解決とはならぬまでも,問題解決の欠くべからざる部分である。完全な解決は,政治的な条件だけに限ったのでは見出せない。基本的に四つの条件を考慮する必要がある。
 (イ)政治的条件,(ロ)経済的条件,(ハ)宣伝条件,(ニ)心理的・教育的条件の具備、が必要である。

(イ)政治的条件
多数者による支配,'権力分散'だけが不偏不党の保障となる。(→主権在民)
少数派を保護することと秩序ある政治とは両立しうる本質的一部である。
(→少数派虐待は革命勢力の育成となる。)
◎法律は,技術的能率を低め、秩序を破らぬ範囲で寛容を立前とすることが遵法の要素である。
◎社会的に全体の参加討議すべき事項と個人の自由裁量に放置すべき事項とを区別する必要あり。(→個人的自由・創意への干渉,大衆的討議に何でもかけて画一主義と独裁を強化させぬこと。)
◎大集団内の政治的無関心の増大は,選挙方式を労働組合方式にならう方が関心や意識を高めうる。

(ロ)経済的条件
 近代的技術の結果,組織体が成育し合体しその範囲を増大するにつれ,経済的権力の政治的権力との融合度は濃くなる。その必然の結果,政治的国家が経済的機能まで引き継ぎ,国家が覇権を握るか,民間企業がすなわち真の国家になる。土地と資本の国有だけでは不充分で,所有権と実権とを識別考慮する必要あり。官僚階級が一切を掌握する場合,これに対応するには,宣伝の自由を許す慎重な用意をもった民主政治が必要となる。

(ハ)宣伝的条件
 民主国の政党政治は権力者や有力者を批判する機会を与えているが,官僚的国家主義国・独裁政治国ではこの機会を与えにくい。官僚が経済的権力を独占した場合,資本主義のもとにおけるより以上に宣伝的条件が重要なものとなる。・・・。

(ニ)心理的・教育的条件
 民主主義の成功と永続とには,寛容な精神を必要とし,集団的熱狂憎悪育成・暴力愛好・英雄崇拝などを抑止することが,権力抑制上必要である。民衆がこのような情感に負けないようにするためには,教育に期待するところが大きい。・・・。

 民主主義が成功するには,一見相反する方向に傾くような二つの性質の広く行われる必要がある。

 憎悪感・破壌的な気持・恐怖心・卑屈さ・完全な服従の強要・自已犠牲・英雄的献身・愛国心・階級闘争心・狂信的理想主義,などを監視する必要がある。科学的精神・理性的懐疑主義・精神的自主性を尊重する教育,雄弁に対する免疫性を与える教育,軽信性と猜疑性とを改める教育,個人の傲値を尊重する教育が特に必要である。

 以上において,独裁主義に対決するため,民主主義に与えられた課題の内容は示唆されている。独裁制は暴力をともない,外的勢力や原因によって断絶するしかない連鎖的くり返しを呼ぶ。しかし,集団化の規模が厖大化する今日,具体的に,現実的にどうするかが実際的問題となっている。
 (1)人問の属性に由来するいろいろの問題の対応策
 (2)教育という在り方や方術に関する対応策
 (3)宣伝という問題で,厖大な組織を対象した時の宣伝・情報活動としての対策等
 (4)官僚機構に対応しうる問題
 (5)大衆の心理への対策問題

 其他において,現状では,人間の個人的能力は勿論,集団的能力と誰もそのままでは限界に達し,厖大さに対決できない。集団の論理に対応しうるものは,電子工学を媒介とする技術しか恐らくないであろう。ソニア型からパーセプトロン型への移動展開は人間能力のシミュレーションヘの視野を拡充しつつある。
 情報科学は,人間社会を包む諸問題を,物質とエネルギーと情報との視点に立つ操作関係に集約する。この集約は,本質的関係におけると同時に厖大な規模の人間杜会の集団性に対応する関係においても意義をもつわけである。
 教育の改革も小手先の部分的改修工作はいづれ逆効果しか持たない。その一例は大学の危機なる語に包摂される現象を見れば明らかである。理解の系列の多様性,性格差の多様性・能力差の多様性に対応しうるのは教育工学以外は不毛である。人間・機械系の展開が示唆的である。
 情報理論はまた,隣接科学の協力により,権力の配分の方式と効率と均衡とについても、現実性をもちうる適性能力者であろう。
 多次元の要素に対応するには,人間を不毛に機械化する方式よりも工学技術を援用する方式において,はじめて人間のプラス面の保障も成立しうる。人間は集団により機械化へと追いつめられている。
 人間の精神的自由に根ざす創造的価値は,集団の攻勢に対し,機械化することによってではなく,機械の援用協力体制において,人間独自の属性を生かして保持しうる。

 7.むすび

 民主主義に普遍的な根拠があるのは,生命の拡充体である人間に次の基本条件があるからであろう。
 人間は個体性と社会性との二重写しの存在であり,複合体的体質としての論理を背負い,時・空両様の拡充過程において,理性面と感性面との相互作用に支配されている。更に,人口増という絶対条件により,多様化が激化し,この多様化・厖大化の故にこそ,人間の理性的営みが前面に出る場合,人間相互の対話方式として,民主主義的発想が一層要請される。
 しかし,人間のもつ感性面が,いろいろの事清とからみ,前面に押し出される時,対立抗争は激化し,共通の対話の基盤は見失われがちで,民主主義は後退せざるをえなくなる。更に,人口増による多様化・厖大化と共に,資本主義的桎梏と教育の質的低化・偏行とが之らにからみ,集団性の論理が目立つ姿をとり,いよいよ,人間的能力の限界以上の現象となって,理性的対話の方式に挑戦する。
 権限委譲・代議制・多数決制などのかかえる本質的・原理的問題点は,解決未了のままで,集団性のもつ論理の攻勢や時代的特質などに抑され,それらのもろさを拡大された姿で露呈する。
 直接民主主義が間接民主主義に移行する中でも,挑戦の萌芽的要素はあったし,人間的属性の尾を引くものとして,潜主や野心家の背信と代議制の鍵を握る代議土や政党の背信とは類似している。この類似の中に,委譲・代議・多数決という問題と人間的属性の問題とが依然として,中心的位置を占めている。厖大化は質と量との両面で作用する。
 集団性の論理は,直接民主主義から間接民主主義への展開を発想させた。分権・委譲・代議・多数決という発想のもつプラス面は,集団性の論理の次期の進展に伴い,機能を果す技術の上での弱点を露呈し,形骸化されていく。対策の構図は,より以上に,技術に比重がかかっている。
 集団性に対応する技術が要請される。この技術の中には,民主政治という枠の中の政治面だけに対応する技術だけではなく,政治の根底にある人間自身の属性に対応する教育と情報の体系への技術もふくまれる。更に,集団それ自体の論理に対応する技術も当然関連してくる。
 民主主義への第三の挑戦は,組織集団の厖大化・組織の稠密化によって代議制が効率を低下させ,存在意義を弱めたことによる。
 代議制自体が内包する未解決・未消化の要素はこの集団の攻勢で間接民主主義への深傷になる。教育と情報との問題がその中に介在する。
 この挑戦を克服するには,民主主義が人間の対話・処遇の形式である限りで,人間自身の属性への戦いについて,また,集団の攻勢が主因となっている限りで,物量の消化力・量と質との変換方式・情報宣伝法・教育などについて,新たなる技術と発想とに依存せねばならない。
 民主主義と教育とが関連する面は教育工学によれば,人間の理解や思考・認識や判断・表象と伝達の過程について,従来の方法では不可能視された次元で,具体的に手の届く処理を保障してくれる。
 民主主義が量と質の差との系列たる物量の攻勢にあう面では電子工学的技術が物量に対する消化力を与えよう。指導・意志伝達・情宜活動には情報理論に示唆される情報処理の技術が要請に応えてくれよう。
 民主主義への第三の挑戦を,かかる面の新たなる発想と工夫とによって,克服したいものである。


注:
(1) What is Democracy ? by B. Russell (American Democracy)
(2) 大野晋「日本語と日本人の思考」(岩波『文学』1967年12月号+1968年2月号)
  楳垣実「バラとさくら」,田桐大澄「目英比較語学」(研究社)
(3) What is Democracy ?(Evi1s of Power)
(4) 〃 (Democracy and War)
(5) 〃 V.
(6) 〃 (Representative Government)
(7) People of P1enty by Prof. Potter (Democracy and Abundance)
(8〕What is Democracy ? (How it Begun)
(9) 〃 VI.
(10) 〃 (To1erance in Democracy)
(11) 〃 (The State and the Army)
(12) 〃 V.
(13) 〃 (Evils of Power)
(14) 〃 (Representative Government)
(15) 〃 (Redressing Grievances)
(16) 〃 (Democracy and War)
(17) 〃 〃
(18) What is Democracy ? V.
(19) 〃 (Tolerence and Democracy)
(20) 〃 〃
(21) 〃 (Democracy and Nationalism)
(22) 〃 (Geographical Problems)
(23) 〃 II.
(24) 〃 (Representative Government)
(25) 〃 (Evils of Power)
(26) 〃 (Dangerous Idolatry)
(27) 〃 〃
(28) 〃 (The Role of Police)
(29 〃 (The State and the Army)
(30) 〃 VI.
(31) 〃 II.
(32) Po1itical Idea1s by B. Russel1
(33) What is Freedom ? by B. Russe11
(34) Power by B. Russel1