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加藤周一「文は人なり、または『ラッセル自伝』の事」
『朝日新聞』1976年9月3日(夕刊)掲載(*連載「言葉と人間シリーズ」)

*加藤周一氏()は、日本を代表する知識人・読書人。平凡社から『加藤周一著作集』が刊行されている。


 英語は私の母国語でないから、話すのに不便、書くのに手間暇がかかり、聞いても読んでもわからぬことがある。しかし、文章暢達(ちょうたつ)、平易明瞭な英文を読んで、私もまたみずから愉しむということがないわけではない。
 たとえば私は折りにふれてバートランド・ラッセルの散文を読む。いつのまにか主な著作をほとんど読み尽くして、その愉しみをあらたにするために、同じ本をまた見ることもある。『ラッセル自伝』(The Autobiography of Bertrand Russell, 3 vols. London; Geroge Allen & Unwin, 1967-1969)はそういう本の一つである。
 一般に平易と明瞭(厳密さ)とが文章において相伴うのは、明瞭さの有る程度までにすぎない。その限度内では、ボワロオが正しいだろう。「よく考えたことは明瞭に表現される」。しかしその限度を超えて、ある程度以上の明瞭さを求めると、文章を長く、繰り返しを避けず、流暢さを犠牲にせざるをえないのが、一般の場合である。その結果読者にとっては、文章が必ずしも平易でなくなる。たとえば、法律、言語学、哲学、論理学上の議論の多くは、新聞記事よりは明瞭だろうが、慣れない読者にとっては新聞記事よりも平易ではない。
 ラッセルの散文もその例外ではない。哲学的・論理学的議論の必要に応じるためには、英語の表現力の限界まで明瞭さを求めなければならない。現にその限界を超えたときに、彼とホワイトヘッドは、自分たちの発明した言語で語った(『数学原理』)。しかし英語で語る限り、ラッセルは明瞭さの要求に応じながら、同時に文章の平易さ、あるいは少なくともその流暢さと優美さを保つという稀有の才能を持っていた。その文章を読む側の快感は、そのことから生まれる、と私は思う。しかしそれだけではない。
 ラッセルの英文はまた、「文は人なり」が高度に抽象的な水準においても成り立つことを証言している、と私は考える。文章にあらわれた概念的秩序は、世界に対する特定の態度を反映し、その特定の態度は、また特定の人格を前提とする。
 ラッセルの文章の内容は、大別して三つある。その一は、記号論理学の体系化、言語としての数学の論理学的基礎付け(『数学原理』)、知識哲学(『人間の知識-その範囲の限界-』)、その立場からの哲学史解釈(『西洋哲学史』)などである。今日の科学哲学は、ラッセルのそういう仕事の流れを引く。その二は、社会問題に係わる文章で、第一次大戦前の婦権運動から、大戦中の平和主義を経て、第二次大戦後の核兵器反対やヴェトナム反戦に及ぶ。その三は、彼自身の私生活、殊に恋愛や結婚のことに触れる。これが『ラッセル自伝』の内容の一部である。
 『自伝』全三巻、その第一巻の序に、長い生涯を回顧して、「単純だが圧倒的に強い三つの情熱がわが生涯を支配した」とみずから言う。第一の情熱は、「知識の探求」である。なぜ星が輝くのか。数のピタゴラス的力をいかに評価するか。この情熱は上述の文章の内容の第一を、動機づけるだろう。第二の情熱は、「他人の苦痛を軽くしたいという果たし得なかった望み」である。これは文章の内容の第二に相当する。第三の情熱は、「愛の欲求」である。その歓びの数時間のためならば、生涯の残りの全部を犠牲にしてもよいと思ったほどの陶酔」。その一面は、文章の第三、『自伝』にみえる。(注:実際は、「愛の欲求」が一番目、「知識探求」が二番目、「しいたげられた人々の苦痛を軽くしたい」というのが三番目である。)
かくの如きがわが生涯であった。私はそれが生きるに値したと思うし、もしそういう機会があたえられたとしたら、喜んでもう一度このような人生を生きるだろう。(『自伝』序)
 一個の人生の生きるに値するかどうかは、必ずしもその達成した事業の大きさによらない。ラッセルの場合に、それは大きかった。凡人の場合に、それは大きくない。しかし私は、みずからの情熱を裏切らない人生は、たとえ達成したところがどれほど小さくても、生きるに値すると考えるのである。(了)