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バートランド・ラッセル著書解題16:「拝啓バートランド・ラッセル様」(日高一輝)

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第17号(1971年2月)pp.4-6.

The Selected Letters of Bertrand Russell, Volume 2The Public Years 1914-1970【電子書籍】




 一昨々年(1968年)の暮,ロンドンの Continuum-1 社にフェインベルグ氏を訪ねた時,氏が懇切に編集と出版の構想を話してくれたのが Dear Bertrand Russell であった。それが,一昨年(1969)ロンドンの George Allen and Unwin 社から発行され,つづいてアメリカ版も出た。わたくしは,編者フェインベルグ氏の好意で,日本語訳に当ることになり,それが昨年七月,講談社から「拝啓バートランド・ラッセル様」として出版された。編者は,B.フェインベルグとR.カスリルズの両名となっているが,主として編著の仕事に当られたのはフェインベルグ氏であった。
 ラッセルが自ら書き著わされたものとしては一昨年春に出た「バートランド・ラッセル自叙伝第三巻」が最後のものであるが,この Dear Bertrand Russell は,その後に出版されたから,いわゆるラッセルものとしては最後の本となったわけである。ラッセルは,この一書が出ると間もなく昨年二月,この世を去られたのである。
 ラッセルは,この書の出来栄を心から喜んでおられた。編集の仕方もいいし,特に題名が気に入ったと言って手放しで讃辞を呈された。あの気むずかしやのラッセルにしては本当に珍らしいことであった。その意味では,まもなく世を去ることになるラッセルにたいするいい贈物になったと思う。また,ラッセルの最後を飾るにふさわしい有意義な仕事でもあったと思う。
 この書に集められた内容は,各方面から寄せられた手紙にたいするラッセルの返事である。その意義については,各方面の人々がそれぞれ専門の立場から評価するであろうと思うが,わたくしは特に次の三点を指摘したい。
 まず,この書の全編を通して躍如としている「率直さ」である。ラッセルは,歯に衣をきせないで正直に発言することで有名であるが,特にこの書においては,パーソナルな手紙という気安さもあって,彼の普通の著書に見られないほどの率直さをもって,告白したり,論議したり,批判したり,叱ったり,皮肉ったり,椰楡したり,想うことを想うとおりに表現している。ラッセル卿ほどの高貴の身分で,しかも世界にその盛名を馳せた人物で,これほど明け透けに自分の心のうちを語れる人がはたして他にあるだろうかと思うほどである。
 次はその交信の範囲である。最高の指導的政治家,一流の哲学者,数学者,科学者,評論家,文学者,ジャーナリストから,学生,青少年,六才の子どもにまでおよぶ。老若男女を問わない。職業と地位の如何を問わない。白人であろうと,黒人であろうと,人種と国籍の別を問わない。権力者であるからといって特に丁重にし,幼児だからといっで粗雑にするということがない。ほんとうに想いをつくし,誠実をつくして返事を書かれた。書くことに彼ほど忙しい身でありながら,無名の学生や幼児にいたるまであれほど誠意をこめていちいち返事を書かれた偉人が他にあるだろうかと思うほどである。
 次は,その内容の多面さと重要さである。宗教,哲学,政治,教育,道徳,平和の問題から,老人の関心事,青年の悩み,恋愛,性行為等の人事相談にまでおよぶ。信仰に迷っている人,時局を憂えている人,学生との対話の断絶に困っている教授,性教育をどうしようかと思い惑っている両親,夫婦の不和に苦しむ家庭,異常セックスの悪弊に悩む人,平和のアピールをしたいがデモの仕方がわからないで困っている学生,失恋した傷心の学生,オナニズムに陥ってふさいでいる青年……そうした人たちからの問いにたいする解答を,ラッセルは,懇切丁寧にしかもわかり易くこの書の中で与えている。人類の存亡にかかわるような世界的な大問題から,一人の人間の私事にいたるまで,また,真理に関する深遠な哲学思想から,身辺の小さな悩み事や日常の些事にいたるまで,これほど広汎に語ってくれた巨人が他にあるだろうかと思うほどである。タイムズ紙をはじめ四十に及ぶ新聞が一斉に讃辞を呈したし,日本でも「朝日」,「毎日」が推薦の書評を掲げた。「わたしは一日に百通平均の手紙をもらう」とラッセルが語っていたように,受信の量も驚異的ではあったが,いちいちそれに返事を書くラッセルのエネルギーは全く驚嘆のほかはなかった。その中から選択し集録する苦心も並たいていではなかったろうと思う。
 ここに集められたのは,年代からいえば,一九五二年の彼の四度日の結婚以来で,交信の完全な記録がエディス夫人の好アシスタントぶりによってほとんど確実に残されていた。それをこの書は,つぎの五章に分類している。1.宗教,II.平和,III.青年と老年,IV.哲学,V.逸話の数々。そして各章ごとに編者のゆきとどいた解説が付されている。そして一つ一つの書簡に,内容をサジェストする見出しがつけられている。若干の例をあげると……人はなぜ神を発明するのか。ヴァチカン対クレムリン。イエス・キリストの自筆の署名。神の版権。世界政府。ペンタゴンと大企業。コインで丁半を決める。第三次世界大戦についてのタイムズ紙のレポート。食養生と長寿。実在の目的。目的と不確定性。善と悪。絶対平和主義。夫婦以外の性関係。道徳の多様性。アインシュタインの神秘的理想主義。フレーゲとペアーノ。クーチュラーとポアンカレー。ラッセルとホワイトヘッドの相異。コンピューター対プリンキピア・マテマティカ。H.G.ウェルズとジョージ・ギッシング。D.H.ロレンス。ラビンドラナス・タゴール。ウィリアム`フォークナーとノーベル賞。コンラッドにたいする情熱。ラッセルの鼻。レッド・ハックル・スコッチ・ウィスキーにたいする感謝のことば……等々。
 ついで,内容の一端として往復書簡の文例を二,三紹介すると:…

◇不道徳なのは誰か
(問)ぼくは十六才です。先週校長先生がぼくに,宗教が社会の道徳律をたもつための責任をになっていることを信ずると言っていました。ぼくは校長の言うことに賛成しません。……
(答)……誓約をして正式に宗門に入ったクリスチャンの目には,無神論者や不可知論者は不道徳者と映るかもしれません。しかしながら,クリスチャンでさえも,汚れがないとはいえません。かれらにも次のような罪がありました。すなわち,I.コンゴーを苦しめたこと,II.ドレフェスを有罪と宣告したこと,III.核戦争を支持しつづけていること。このような表をつくるとすれば,わたしは永久にしつづけることができましょう。……

◇隣人を滅ぼす
(問)…もし共産国がキューバにミサイル装置を設定していたとしても,あなたはその方がより良かったとお思いでしょうか。…もしあなたが,始終あなたの家にやって来て何かあなたの持ち物を取っていく隣人をもっていたとしたら,あなたはどうされますか。…
(答)…もしわたしがそのような隣人をもっているとしても,わたしなら絶対にその人を殺しはしませんし,また同じ町内に住んでいる他のすべての人々を滅ぼしてしまうようなことをいたしません。しかしながら,それをしようと脅迫するのが,危機に臨んでのあなたがた(米国)の大統領の態度なのです。…キューバ政府にも,キューバに基地を設ける権利があるはずです-ちょうど米国政府が,トルコ,日本,イタリア,英国,そして共産国の周辺のいたるところに持っているようにね。…

◇血を流すスポーツ
(問)…英国における血を流す残忍なスポーツ(狩猟)に反対する運動にラッセル卿の支持を求めます…
(答)あなたと同意見です。わたしは狐狩りなど大嫌いです。動物にたいして残酷なことをするのはとても嫌いです。わたしはいま核兵器反対の運動に全力をささげていますが,核戦争は多分あらゆる動物を殺すことになるでしょうから,わたしがいましていることは,とりもなおさずその動物たちのために闘っていることになると思います。……

◇世界政府
(問)…あなたが,世界政府は力をもたたければならないと言われることと,国連の活動をとおして成就される世界政府は,ソ連の支配から生れるそれよりもはるかに望ましいものだと仰言っておられることに賛成します。しかし,どんな世界政府でも,たとえそれがソ連によって生み出されたものであろうとも望ましいものであるとされるあなたの論点には賛成できません。…
(答)…わたしはいまなお信じています-どんな世界政府でありましょうとも,たとえそれがソ連によってもたらされるものであっても世界政府がないよりはましです。ソ連の支配はどうしても避けるべきです-しかし世界熱核戦争はそれ以上に回避すべきものです。軍国主義や権勢欲は一時的なものでしょう-しかし地球上の人間生活の終わりは永遠のものでしょう。

◇デモのやり方
(問)…わが国の大統領ジョン・F・ケネディが民主党の地方本部訪問のためミルウォーキーに来ます。ぽくたちのメンバーは,十五歳から十八歳までのものばかりですが,平和思想をいだいているものとして,ケネディに対して核実験継続に抗議するデモを平和的に(有罪を決定されて逮捕されるようなことのないような方法で)行ないたいと思いますが,どんなふうにやったらいいか先生のアドヴァイスを心からお待ちしています。……
(答)…逮捕されないことを保証できるようなデモのやり方を教えるなどということは出来そうもありません。しかしこういうことは申し上げられます-君たちの考えをわかり易く説明したポスターやプラカードを持って,党本部の入口か,もしくはケネディの通るルートにピケをはること。あまり経費をかけないでリーフレットを印刷し,群衆の間にそれを配るか或は大統領の通る道にそれを投げこむこと。諸君の抗議をできるだけ効果的にするため事前に新聞社に連絡しておいて,諸君の行動ができるだけ広範に報道されるようにしておくこと。その場に居合わせた沢山の人達から諸君の身体がはっきりと見えるようにしておくこと,等々。

◇老年について
(問)…あなたは老年についてどうお感じになっていますか。…
(答)…老年は,人間が見苦しくなかれと苦闘する時代であるように思います-ほかにもいろいろありますがね。…


ラッセル協会会報_第16号
◇最も重要な仕事
(問)…ご自分のお仕事のうちでどれを最も重要とみなしておられますか…
(答)…核戦争に反対することがわたしの最も重要な仕事と考えています。もし核戦争を防止できないとすれば,『プリンキピア・マテマティカ』は,それ自体どんなに大著であるといっても,だれ一人をも啓発することが出来なくなりましょう。

◇目的と不確定性
(問)…先生はあらゆるものの不確定性ということを考えられました。それでいて先生ご自身は目的のある生活をしておられたように思います。すべてのものの運命が定まったものであるのかどうか,すなわち自由というものが存在するのかどうかがわからないで,先生はどうしてこのような目的のある態度に到達されたのでしょうか…
(答)…「目的」は全く心の内部の質のことです。それは決して因果関係についての形而上学的見解いかんで定まるようなものではありません。自分の外の世界にたいして,ある程度それを理解したいと思って情熱をそそぐ,また,他人のことに関心をいだいてそれに同情を寄せる,そういうことが人生の多くの時間をかけて活動させる原動力になるのです。わたし自身としては,そうした活動を重要なことと考えて行動します。