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平野智治「バートランド・ラッセルと私」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』n.3(1966年2月),p.1(巻頭言)
* (故)平野智治(ひらの・ともはる 1897~1979)は当時、ラッセル協会理事、東洋大学教授、数学再攻で、日本数学教育学会第9代会長


ラッセル協会会報_第3号
 私が初めてラッセルの仕事について学んだのは、大学生の時、数学基礎論の講義の中であった。論理主義、直観主義、形式主義の3つの中、数学は論理学の一分枝であり、数学の用語は論理学の用語で定義され、数学の法則は論理学の原理から論理的に誘導されると説くのが論理主義で、近くはフレーゲに始まり、それをついでラッセルによって集大成されたと聞かされた。しかもフレーゲの仕事は一見しても分る程記号が難解であったため、独逸国内でもほとんど読みこなす人がなく埋れていたが、ラッセルによって発掘され、プリンシピア・マテマチィカ(注:プリンキピア・マテマティカ)のような立派な体系につくり上げられたと聞かされ、吾々若い学生には大きな感動であった。しかも彼がそのとき提起した問題は今日も尚、数学基礎論の課題につながっている。
 其の後、1934年の中頃、ウィーンで、ウィットゲンシュタインのことを聞き、論理実証主義のバイブルともいわれた彼のトラクタス(『論理哲学論考』)を読んだとき、私の前に再びラッセルがたちはだかってきた。トラクタスは私には人間思考の奥底をえぐったもののように思われるが、著者は英国に渡りラッセルに師事しながらこれを書いたという。そこでまた私はラッセルの哲学にも心ひかれるようになり、彼の初期の「哲学の問題」(The Problems of Philosophy, 1912)を始めいろいろの著書を読むようになり、近くはまた彼の「人間の知識」(Human Knowledge, 1948)にも教えられるところが多かった。ラッセル、ウィットゲンシュタインなどの哲学は、ウィーンでマッハなどの経験論と結びつき、物理学者・哲学者であるシュリックを中心としてウィナークライス(松下注:Wiener Kreis:ウィーン学団のこと)を作り、論理実証主義の花を咲かせた。そして大戦と共に欧州大陸から米英に渡り、分析哲学として発展しつつある。しかも私には人間行動を直接益する哲学はこの種の哲学ではないかとさえ思われる。

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 ラッセルの全業績からみれば、数学基礎論や哲学に関するものは、それほど大きなものではない。しかも残る大きな部分について私はかれこれ言う資格がないが、モヤを通してみるとそこには社会問題や人生問題について、彼の大きな業績がみえ、彼が人口に膾炙するゆえんも、彼のこの業績のためであろう。思えば彼の業績は大きなものであり多岐に渡っており、これだけを一人の人でなし得たのかと疑わしむる程であり、彼の偉大さに感動するものである。その上、彼の自由思想、平和思想にもとづく平和運動は、今日の生活だけでなく、明日の社会にとっても貴重なものであろう。本協会はラッセルの思想の研究、理解、普及を目的とし、あわせて世界の平和、および人類の幸福に貢献するを使命としていると「協会規約第二条」にうたってある。しかし研究し理解するとはなんであろうか。その発生を探り、本体をきわめ、その後の発展をたどってこそはじめてそれを理解したといえるのではないだろうか。非凡なるラッセルの仕事、その一方面だけに通ずることさえ凡人には容易なことではない。そしてどの面も明日の社会に生きるものにとっては有意義なことである。
 いま会報創刊号と二号とに表われた会員の言葉をみよう。会員は、彼の思想、彼の教育論、宗教観、哲学、平和思想、世界連邦の思想などを協会を通して研究し、自分の人生観を確立し、或は立派な教育者たらんとし、或はバックボーンのある法曹家たらんとし、またよき主婦たらんと熱望されて居る。
 これに対して目下のところ、本協会は主として年数回の研究会や講演会と、このような会報をこれもまた年数回発行している。これで果して会員や会友を満足させているであろうか。欧米で大学に夜間に成人の教養講座を開いているところをよく見かけた。吾国でも近頃そうしたものが一、二できて、勤めがえりの人から停年退職した人まで加えて十分繁盛しているようである。私共も教室を手にいれて、ラッセルに関する講座でも開いたらどうだろう。その原稿を利用すれば立派なパンフレットができるではないか、考えればほかにもいろいろ有益な仕事があるだろう。(了)