橋本峰雄「現代英国の哲学の印象-主流に戻るバートランド・ラッセル、社会との結びつきを図る

* 出典:『朝日新聞』1972年4月13日号(夕刊・文化欄)掲載
* 橋本峰雄(1924~1984)は当時、神戸大学教授(哲学・倫理学専攻)にして京都・法然院貫主。死亡記事<

 直系の弟子が継承

 昨年(1971年)の2月、私はロンドンヘ出発した。かねてバートランド・ラッセルを今世紀最大の哲学者の一人と考え、幼稚にもその風貌だけでもかい間見ることを願っていた私は、その前年に彼の死を聞いて、英国渡航の出鼻を挫(くじ〉かれたように感じたものだった。到着後すぐ訪れたケンブリッジのトリニティ・カレッジのチャペルの壁面には、すでにラッセルの碑板がムーアやホワイトヘッドのそれと並んではめこまれてあった。20世紀英国の哲学を「ラッセルの時代」と評した人があるが、その碑板はその時代の完了を聖化するかのようににぶい金色に光っていた。ほんとに「ラッセルの時代」は終ったのか。


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 私はロンドン大学の、LSE(London School of Economics and Political Science)-ここでラッセルは一時講義をしたこともある- に10ケ月足らずいたにすぎないが、英国哲学の現状を素描してみたい。もとより大まかな印象にとどまる。

 LSEはその名が示すとおり、哲学を主体とするカレッジではない。しかし、『科学的発見の論理』や『開かれた社会とその敵たち』などの著書によってわが国にもよく知られている K.ポッパー -この人はラッセルと「哲学」観を同じくすることをしばしば表明した- の科学哲学が、その引退後も、弟子の I.ラカトーシュ(科学哲学の学会で来日したこともある)、J.ワトキンス両教授によって継承されている。さらに哲学のもう一人のスタッフ、E.ゲルナー教授はその著書をラッセルにささげていて、そこで、LSEの哲学のゼミナールに集まってくる世界各国の哲学者たちも、ラッセルがどこでどういっている、ということをしばしば議論の基礎とするのを私は聞いた。LSEの哲学は根本においてラッセルとともにあった。
 それではよそではどうか。ラッセルは生前すでに『私の哲学の発展』(1959年刊)の中で「自分がしばらく世にもてはやされた後、時代遅れだと捨てられるのを見ることは、必ずしも愉決な経験ではない」と書いていた。20世紀英国の哲学の "主流" は、いわゆる英国経験論の伝統につらなりつつ, 論理的分析を方法とするラッセル(およびホワイトヘッド、ムーアら)の実在論(第一世代)から、ラッセルの思想の一面を徹底させたいわゆる論理実証主義(第二世代)へ移り、さらに第二次大戦後はラッセルの弟子で後にラッセルから離れたウィトゲンシュタインの晩年の思想(『哲学的論究』)を展開させてオックスフォード学派、つまり日常言語分析の哲学(第三世代)へと推移したと一般に評価される。
 つまり、ラッセルをあたかも「時代遅れ」であるかのようにさせたのは、主として、G.ライル、J.オースチンにはじまり、P.ストローソン、G.ウォーノックらにいたるオックスフォード大学の哲学者たちであった。しかし今やまたこの今日の主流が問われる時が来たのではないか。

 文法をあげつらう

 ラッセル自身の言い方を借りれば、「哲学的問題の多くは、実際、科学がまだ扱いうるにいたらないところの科学的問題であり」、伝統的な哲学の任務は「世界をできるかぎりよく理解する」ことであるが、オックスフォードの言語分析の哲学は、理解すべきは世界(存在)ではなくて言語それも日常言語だけであり、哲学の任務は言語の用法の「交通整理」をすることに限られるというのであった。そして彼らの日常言語とは英語のことである。つまりそれははじめからきわめて閉鎖的な哲学であった。(たとえばこの哲学は戦後わが国へも導入されたが日本語の用法の分析に成果を引出せたとはいえない)。また彼らは普遍的な形式論理に対して「非形式的論理」なるものを提唱したが、極端にいえば、それはそれぞれの特殊言語の修辞あるいは文法をあげつらうにとどまるものであった。
 昨年の夏、BBCのラジオ第三で週1回、13回にわたって「哲学者たちとの対話」という放送があった(実は一昨年冬の番組の再放送であったが)。B.マギーという哲学出身の著名なジャーナリストが、現代英国の代表的哲学者13人との対話を通じて英国の哲学の現状を浮彫りにする。(松下注:その後、1978年1~4月にも、BBC(TV)で同様のシリーズが15回シリーズで放映された。『哲学の現在-世界の思想家15人との対話-』(河出書房新社1983年刊)参照。)私にはこの放送は正直のところ大学のゼミナールよりもよほど面白かった。これは編集されて秋に『現代英国哲学』(Modern British Philosophy)と題して出版されたが、その中に、とくにラッセルの評価をめぐって、ポッパーとオックスフォードのストローソン、ウォーノックとのはげしい討論がある。ポッパーはラッセルの哲学が科学に忠実であることを称揚する一方、オックスフォードの日常言語の哲学から人間と社会にとってどんな成果があったかと問いつめる。これに対してオックスフォード側は、日常言語分析の哲学ももともとラッセルから由来したものだと自己弁護しつつ、成果は今後に期待してほしいと、もっぱら防戦に大わらわであった。勝負はあったという感じである。
 論理実証主義および言語分析の哲学は、実は世界観としてきわめて保守的な哲学である。世界はいまあるがままにてよしという哲学である。あるいはゲルナーが評したようにニヒリズムの哲学である(かつて田辺元もウィトゲンシュタインを読んでハイデガーと同じことだと評したと聞く)。「科学」よりも「常識」、「世界」(存在)よりも「言語」とうオックスフォード哲学は、英国哲学の伝統からそれたデカダンスにほかならなかったのである。

 保守的な一般大衆


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 英国はもはや世界の文化のリーダーではなくなりつつある。EC加入を自ら請わねばならなかったように、哲学界もまたべーコン以来ラッセルまでのような自足的・自律的なものではなくなった。教授たちは論文を伝統ある自国の『マインド(mind)』誌などではなく、アメリカの専門誌に寄せることを望み、学生たちはドイツ・フランス、さらにマルクス主義や毛沢東の哲学を歓迎する。ロンドンの本屋の店頭にはかつてなく翻訳書があふれている。そして一般の大衆は福祉国家の温床の中できわめて保守的で、印パ、南ア、北アイルランドの悲惨にさえも、自らの罪責を自覚することに乏しい。アカデミーの哲学と一般社会との結びつきはほとんどない。しかしそのような英国も、ようやく今年の1月、J. ハックスリーら35人の科学者たちが、「公害」をはらむ現代文明に対して、「生き残るための青写真」なるアピールを出すところまで来た。哲学もまたオックスブリッジの "僧院" から出なけれはならない。英国流デモクラシーを結論とするにとどまるポッパーの哲学を丸のみにはできないにしても、ポッパーとロンドン大学LSEを通じて、「科学」と「社会」との両方を凝視してたじろなかったラッセルの哲学が、ふたたび英国の哲学の主流となると期待されるのである。ことしはあたかも「ラッセル生誕百年」にあたる。本国でもわが国でも記念の行事があると聞く。(了)