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藤田信勝「(ラッセルの)いかに老いるべきか」
『ラッセル協会会報』n.23(1975年5月)p.18-19.

* 藤田信勝(ふじたのぶかつ),1908〜1980:筆者は当時、ラッセル協会会員、毎日新聞論説委員/カリフォルニア州生。京大法卒後、毎日新聞大阪本社に入社。1947年に『敗戦以後』出版。ロンドン支局長、毎日新聞論説副委員長。


 私はバートランド・ラッセル著作集(第1巻)の『自伝的回想(中村秀吉訳/原著:Portraits from Memory and Other Essays, 1956)という本を、ずいぶん前に、古本屋で買って(たった百円で!)いまでも愛読している。
 その中でも、ここ十数年来、なんども繰り返して読み、その都度感心している文章は、「いかに老いるべきか(How to grow old)」という、訳文でたった4頁の小論である。その内容が立派であるばかりでなく、その表現法が、いかにもイギリス人らしいユーモアにあふれているので、私はいつもイギリス人のユーモアについて書いたり、しゃべったりする時に、引き合いに出すことにしている。

 まず冒頭、「いかに老いるべきか」という題をつけたが、この文章は「いかに老いないか」に関するものだと断わっている。このほうが彼の年かっこうにずっと重大な問題だというのである。97歳まで生きたラッセル翁は、確かに「いかに老いないか」を実践した人である。私のように、60代も半ばをすぎると、全く「いかに老いないか」に関心がますます高まるのである。
 「私の第一の忠告は、諸君に祖先を注意深く選びたまえということだ。」
 祖先を選べ、といわれたって選べるはずはないが、結局、長命の家系に生まれた自分自身を語るために、まず、「祖先を大変うまく選んだ」という。思わず、微苦笑を禁じえないような言い方である。日本の学者や文化人の文章で、これだけ小気味よい笑いをさそうような文章には、なかなかお目にかかることがない。
 「なるほど母方の祖父は67歳の青年盛りで天折したが、他の3人の祖父母はみんな80すぎまで生きた。遠い祖先のうち高齢に達せずして死んだ人を、私はただ一人しか見出すことができず、その彼も今日では稀な病気で、つまり首を切られて死んだのである。(下線筆者)
 67歳は青年盛りであり、そんな年で死ぬのは若死にだ、と書いているのも愉快である。おそらく、この文章は、ラッセルが67歳を過ぎて書かれたものだろうが、さすが90すぎまで元気旺盛だったのでうなずける。(松下注:このエッセイは、最初 New Hopes for a Changing World, 1951 の chap.22: the happy man の一部として発表された。)また首を切られて死んだ遠い先祖の一人については「今日では稀な病気で」といっているのも、まことにユーモラスな表現である。
 そして、彼は92歳まで生きた(ラッセル自身より若死にである!)歴史家ギボンの友人だった曾祖母のエピソードを語る。この曾祖母は、女子の高等教育に身をささげた偉い女性だったが、ある時、イタリアに旅行した時たいへん悲しそうな中年の紳士に会った。なぜ、そんなに悲しんでいるのかと聞くと、いま2人の孫と別れてきたので悲しいのだと、紳士は答えた。
 「まあ、私は、孫、曾孫を72人もっていますのよ。私がその一人と別れるたびに悲しんでいたら、とても陰気な人になっていたでしょう」。
 と、彼女は朗かに叫んだ。ラッセルはこのおばあさんの曾孫の一人だったのである。ラッセルは、このように大変うまく先祖を選んだわけで、そのためか、ほとんど病気らしい病気にかかったことのない健康な肉体に恵まれた。

 しかし、どんなに健康でも寄る年波はあらそわれない。そこで、いよいよ本論にはいって、年を取ってから注意すべき2つの危険を指摘する。
 その一つは、「過去への不当な執着である」。昔のよき時代を思い出し、死んだ友を悲しんで生きる −すべての老人にありがちなことだが、これはよろしくない。なるべく関心を未来へ、それについてなすべきことを考えよ、というのである。
 第二は「子供の生命力から活力を吸収する希望をもって子供に執着すること」は避けねばならないという。
 「人の関心は、観念的であるべきだし、また可能なら博愛的であるべきだが、不当に情緒的であってはならないことをいいたいのだ。動物は、子供が自分の生活ができるようになるや否や、子供に関心をもたなくなるが、人間は幼児期が長いためこのことが困難なのである」。
 上できの老年時代というのは、それにふさわしい活動を含む、超個人的なものへの強い関心をもつことだ、とラッセルはいう。たとえば、教育・社会奉仕活動などは、それにふさわしく、長い経験を生かすことができる分野であろう。しかしすべての人が、そういう活動ができるとは限らない。孫にジャンバーを編んでやるぐらいの物質的、生理的な力がある人は、それをしていいが、その場合でも孫たちから、感謝を期待したり、老人とともにいることを喜ぶだろうと思ってはならない− とラッセルはいう。
 そして死の恐怖を征服する、彼の人生観を述べている。
 「諸君の関心を、次第に広汎かつ非個人的にしていって、ついには自我の壁を少しずつ縮小して、諸君の生命が、次第に宇宙の生命に没入するようにすることである。
 個人的人間存在は河のようなものであろう。−最初は小さく、せまい土手の間を流れ、烈しい勢いで丸石をよぎり、滝を越えて進む。次第に河幅は広がり、土手は後退して水はもっと静かに流れ、ついにいつのまにやら海へ没入して、苦痛もなくその個的存在を失う。老年になって、このように人生を見られる人は、彼が気にかけ、はぐくむ事物は存在し続けるのだから、死の恐怖に苦しまないだろう。」
 ラッセルは、こういう考えをもって、しかもほとんど最期まで、自分の年齢に応じた(他から見れば、超人的な!)仕事をし続けた偉人だった。彼にいわすと「青年盛り」の60歳代で、この文章ほど心を鼓舞してくれる文章を、私は知らない。(終)