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[質問]
 「現在のフランス王は禿頭である」という命題について,フレーゲは「フランス王は禿頭というのには外延がないので禿頭か禿頭でないか特定できない」と言っていますが,ラッセルは「この文章は単純に偽である」としています。どうしてそう言い切れるのでしょうか?

[回答]
 ラッセルの「確定」記述の理論に関するものですね。

 名詞には,「固有名詞」と(固有名詞に似た働きをする)「確定記述句」があります。たとえば,「ルイ14世」は固有名詞ですが,「フランス革命以前,**年から**年までフランスに君臨した国王」は確定記述句になります。(例はいろいろあげられます。「頼朝」と「政子の夫」との違いなど)

 ところで,フレーゲ及びラッセルが例にあげている「フランス(国)王は禿頭である」というのは,両者とも「現代のフランス王は禿頭である」といっているわけですが,これは,現代(=当時の)フランスは共和制をとっていて王様は存在しないため,この命題は単純に偽である(そのような命題は意味がない)とラッセルは主張しているわけです。

 日常我々が使っている言葉はあいまいな要素が多く,上記のままの形で考えて 「排中律:「AはBである」かあるいは「AはBではない」のどちらが成り立つ。」 を持ち出してくると混乱してしまいます。そこでラッセルは,命題をできるだけ論理記号で表し,最小単位の(原子)文に分解して考えた方が良いといいます。(分子命題→原子命題 に分解)すなわち,

 「現在のフランス国王は禿げている」(aはbである)は
     ↓
 「あるxがあって、そのxはフランスの国王であり、」(←フランス国王であることは属性であるので、述語の位置に移す)
  +「すべてのについて、もしyがフランス国王であるならば、yはxと同一であり、」(←すべての人間について検討しないといけないので・・・。)
  +「そしてxは禿げている。」

 このように分析していくと,文の基本的な成分は,「条件を表す言葉」,「その条件を満たすかどうかが問題になる不特定のもの(=たいていの場合,代名詞や「もの」という言葉で表現される),論理的な関係を表す言葉,の3つに分解されます。このように分析すると日常言語による無用の混乱をさけることができます。

     このようなラッセルの考え方に賛成しない人もいます(「排中律」さえも認めない立場もあります)が,多くの人にとっては納得しやすいものではないでしょうか?

 私は論理学は専門ではないため詳しいことはわかりませんのでこれで回答とさせていただきます。

 ★参考文献を以下いくつかあげておきます。(現在入手できるのは,2と3です。1も大学図書館は大部分所蔵しています。)
 1)ラッセル著『意味と真偽性』(文化評論出版,1973)
 2)ラッセル著『私の哲学の発展』(みすず書房,1960))
 3)ラッセル著『神秘主義と論理』(みすず書房刊/バートランド・ラッセル著作集第4巻)
  *p.241-269 = 「直知による知識と記述による知識」
 4)吉田夏彦著『哲学と論理学』(ラッセル協会・パンフレットシリーズNo.2),p.20-24.

 5)三浦俊彦著『ラッセルのパラドクス』(岩波新書)