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土屋純一(訳)「フレーゲ=ラッセル往復書簡(1902〜1912)」
(野本和幸(編)『フレーゲ著作集』第6巻(勁草書房,2002年5月刊 454 pp.))pp.117-171.

* ラッセルからフレーゲ宛の11通の書簡(原文はドイツ語)を収録
* pp.117-118:編者解題
* pp.118-119:ラッセル(フライデイズ・ヒル居住)からフレーゲへの最初の手紙(1902年6月16日付)

ラッセルからフレーゲへの最初の手紙
(1902年6月16日付, ヘイズルミア、フライデイズ・ヒル)

 尊敬する同僚殿

 御高著『算術の基本法則』は一年半このかた存じ上げておりましたが、ようやく時間がとれるようになりましたので御著述を入念に研究させていただこうと思います。すべての主要問題について私は学兄とまったく同意見でございます。とりわけ、論理学からすべての心理学的契機を排除する点と、数学ならびに形式論理学の基礎づけのための概念記法というものを重視する点において同意見であります。ついでに申せば数学の基礎と論理学の基礎とはほとんど区別できないのですが。多数の個々の論点にわたって、他の論理学者に求めても得られない検討・区別・定義が学兄の許には見出されます。特に関数については(貴著『概念記法』第9節)細かい点まで同一の見解に私も独立に至っておりますただ一点だけ私は難点に逢着いたしました。学兄は17頁で関数は無限の要素を構成することもできると主張しておられます。私も以前はそう信じておりましたけれども、今ではこの見解は疑わしいと思えるのです。その理由は以下申し上げる矛盾のゆえであります。ω を、つぎのような述語としましょう。すなわち、自己自身については述語づけられえない述語とします。この ω は自己自身について述語づけられうるでしょうか? できる・できないのいずれの答からもその反対が帰結します。それゆえ ω は述語ではない、とわれわれは結論しなければなりません。同様にして、全体として自已自身に属さないところの諸クラスのクラス(全体としてのクラス)は存在しません。このことから私は、或る事情の下では、定義可能なクラスが全体を形成しないことがあると結論いたします。

 私はただいま数学の諸原理についての本を仕上げようとしているところでして、この本の中で学兄の御研究について詳細にわたり論評いたしたく存じます。御本はすでに持っておりますし持っていないものもすぐ購入いたしますけれども、いろいろな雑誌に出されました御論文の抜刷をもしお送りいただけますならたいへん有難いのですが。ですがこれが万一不可能のようでしたら、どこかの図書館から入手いたします。
 論理学の厳密な論究は、記号が威力を発揮しないような基礎的な諸問題については、まだ非常に遅れております。学兄の御研究は私の知るかぎり現代最良のものと存じます、さればこそ学兄に深い敬意を表する次第であります。『算術の基本法則』の第二巻の公刊にまだ到っていらっしゃらないのはまことに残念でありますが、いずれ必ずや実現するものと期待しております。

 敬意の念をもって
 バートランド・ラッセル

 追伸 上記の矛盾は、ペアノの概念記法ではつぎのように表現されます。

の画像

 この件に関しペアノに手紙を出してありますが、彼はまだ返事をくれません。

 *1 この書簡のオリジナルは、SlgDarmst,H [数学の部] 1897 にある。[編者]