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羞恥心について(松下彰良・訳)
(1932年11月23日執筆)
On Feeling Ashamed
* 改訳(また一部未訳の部分を全訳化)しました。(2011.2.9)

 欧米は「罪の文化」であり,日本は「恥の文化」であるという言い方がよくされます。日本人は,自分の行為は倫理上よいことかどうかということよりも,知人や社会の眼を気にし,他人にどう映るかを行動の判断基準にしがちだという国民性があります。これに対し,欧米人は,キリスト教の伝統もあり,「神(絶対者)」に個人個人が向き合っており,他人がどう感じるかではなく,倫理的にどうかといった捉え方をよくするようです。
 しかし(文化による大きな違いはあるにしても,)同じ人間ですので,ラッセルがいう意味での「羞恥心」は一部の例外を除いて,人類共通のようです。「後悔先に立たず」という諺がありますが,失敗してみて(たとえば犯罪が露見してから)「あんなことをしなければよかった」とか,「恥ずかしい」とかいった感情を抱くことになります。いろいろな犯罪(汚職,窃盗,公人の嘘,等々)がばれて,(それまで自分の犯罪を忘れていたひとが)急に後悔の念にさいなまれるというのは,本当に日常的な出来事になっています。(1999.11.27,松下)


 ほとんどの人は,少なくとも若い人は,突然恥ずかしい出来事を思い出し,全身が熱くなり一時的に息がとまるような感情を経験している。(みすず書房から出されている,中野好之(訳)『人生にかんする断章』では,「突然面目が潰れるような経験を思い出して真っ赤になった記憶を持っているものであるが,そのようなことは,夢中で物事に当たっている最中に一息入れた時などに体験する。」となっているが,下線部分は誤訳ではないか?)もしも人前で,聴講者はきっと笑ってくれるだろう期待し長時間しゃべったにもかかわらず笑いをさそえなかった時とか,あるいは特定の人の面前で具合の悪いことをつい言ってしまった時などは,夜中に寝ていて恥ずかしさを強く感じて(私は)目覚めがちである。その恥ずかしさの理由(原因)はしばらくのあいだ自覚できないが,その後,突然その理由に思いあたるという経験をする。同様の感情は,我々が当然知っているべき事柄について無知であったり(中野訳:「記憶していなければならぬ何かをうっかり忘れたり」は,誤訳ではないか),特に(顔と名前を知っているべき)相手を忘れてその人が傷ついていることに気付かなかった時にも経験する。ヴィクトリア女王の戴冠式で王座の階段をころがり落ちたロール卿は,たぶんその後,'ころがる(という言葉)'を耳にするたびにいつも赤面したのではないかと思う。私は,自分がディナーの約束を忘れ,(自宅で・自前の)ディナーを丁度食べ終わるやいなやその約束を思い出した時のことを,今でも罪悪感とともに思い出す。私は慌てて駆けつけ,かなり遅刻して到着し,二度目のディナーを食べようとしたが,非常に苦しい拷問であった。若くて内気な人間にとって,'社交界での非礼'の思い出は,社交を孤独よりもずっと辛く思わせる不幸(の一つ)である。
 大部分の人間が深刻な罪について持つ感情も,本質的にこれと同一だと私は思う。私が本を読んで集めた,殺人を犯した人間についてはそうであり,彼らは自分の犯罪が'発覚しない確信'があるかぎりはほとんど後悔をしないが発見されそうになるとすぐにあんなことをしなければよかったと思い始める。この点では,殺人者の後悔と内気な人がぶざまに振る舞った時に感ずる屈辱感とは,程度の差はあっても,内容上の差異はほとんどない,と思われる。どちらの例においても,我々は,「やり直しができさえすれば,どんなにか違った行動ができるのだが・・・」といった感情を抱く。そうして,その感情はもっと賢明な行動についての空想と結びついて,いづれは,人間の記憶をまったく間違ったものに変えてしまうこともある。人間は,十中八九,仮に20歳の時に殺人を犯したのにまったく発覚しなかった場合には,70歳にもなると自分が以前そんなことをしたという記憶をまったくなくしてしまうであろう。独力で成功した著名な金満家たちが,彼らの若い頃の'詐欺やいかさま'をきっとまったく忘れてしまっているだろうと思う。ずっと以前に犯した罪の発覚は,それが起こると,犯罪者は多分心から驚くだろう。私が昔読んだ小説で,それぞれ以前に大きな罪を犯した男女が互いに相手の過去を知らないまま結婚し,そのうちに,自分が結婚した相手がどういった人物であるか知って,両者とも心からの苦痛を感ずるに至る,というのがあった。後悔というのは社会的な現象であり,我々が行った何らかのことが原因で,もはや他の人々に自分のことを好意的に見てもらえなくなった時に,この感情は生ずる。もちろんこの場合,その社会的非難が基づく価値判断(基準)を我々自身が受け入れていることが不可欠である。受け入れていない場合には,我々の反応は立腹と自己主張というまったく別な形を取る。
 ある種の幸運な人々は,大きな事柄であろうと小さな事柄であろうと,自分が間違っているという感覚をまったく持たない(経験しない)。私はかつてある著名な淑女に向かって,あなたは恥ずかしさを感じたことがあるか尋ねた時のことを覚えている。彼女はその時次のように答えた。
「いいえ,私が少しでもそのように感じるときには,私は自分にこう言います。『あなたは,世界中で最も聡明な国民の中の,最も聡明な階級に属する,最も聡明な家系の中の,最も聡明な一員ではないですか。そのあなたがどうして恥ずかしく感じることがありましょう』」(訳注:これを言ったのはベアトリス・ウェッブであるが,この逸話は,『ラッセル自伝』の第4章「婚約時代」の一節に再度引用されている。)
 この返事を聞いて,私は畏敬と羨望を感じた。(注:もちろん,半分皮肉です。)
[From: Mortals and Others, v.1, 1975.]

Most people, at any rate most young people, know the feeling of a sudden humiliating recollection, when one goes hot all over and stops breathing for a moment. If in company I have told a story which was too long and failed to raise the expected laugh, or which was tactless in view of some person's presence, I am apt to wake up in the middle of the night with a hot feeling of shame, of which the cause for a moment escapes me and then suddenly rushes back into memory. The same sort of thing happens when one has been ignorant of something one ought to have known, and more particularly if one has failed to recognize a person who is hurt at being forgotten. I suspect that Lord Rolle, who rolled down the steps of the throne at Queen Victoria's coronation, could never after hear about rolling without a blush. I still remember with a profound sense of guilt an occasion on which I forgot a dinner engagement and remembered just as I had finished my own dinner. I rushed round, arriving very late, and tried to eat a second dinner, which I found to be an agonizing torture. To the young and shy the recollection of social faux pas is a misery which makes society much more painful than solitude.
I think the feeling that most people have about serious sins is essentially of the same kind. Those who commit a murder - so, at least, I gather from the books - feel little remorse so long as they are sure that they will not be found out, but begin to wish that they had not done it as soon as discovery becomes imminent. I doubt whether there is any real difference, except in degree, between the remorse of a murderer and the humiliation of the shy man when he has behaved awkwardly. In each case one has the feeling 'If only it were to do again, how differently I could act,' combined with fantasies of a wiser behaviour which may in time completely falsify one's memory. I suspect that nine people out of ten, if they had committed a murder at the age of twenty and had never been found out, would by the time they were seventy have become convinced that they had never done any such thing. I am sure that eminent plutocrats who are self-made have quite forgotten the tricks and twists of their early days. Public exposure of crimes committed long ago, when it occurs, probably causes genuine surprise to the criminal. I read a novel once in which a man and woman, who had both committed serious crimes, married each other in ignorance of each other's past and were both genuinely pained when they discovered the sort of person they had married. I think remorse is essentially a social phenomenon which occurs when we realise (realize) that, owing to something we have done, we cannot make other people take the favourable view of ourselves that we should wish them to entertain. It is, of course, essential that we should accept the standards from which our social condemnation springs. If we do not, our reaction is quite different, being one of indignation and self-assertion.
Some fortunate people never experience the sense of being in the wrong, either in great matters or in small. I remember once asking an eminent lady whether she had ever felt shy. She replied: 'No. Whenever I have felt any tendency that way, I have said to myself "You are the cleverest member of one of the cleverest families of the cleverest class of the cleverest nation in the world - why should you feel shy ?" ' I heard this answer with awe and envy.


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